『選ばれるUX』の刊行をきっかけに、人前で話す機会が増えました。ありがたいことです。
世に出た本が、どう読まれるかは読者に委ねられます。こちらが中心だと考えていた章を読み飛ばす人もいれば、何気なく書いた一文を長く覚えている人もいるでしょう。どう読んでもらっても構わない。そう構えていなければ、書き手としてあまり健やかではないように思います。
本が読まれはじめる場に立ち会うのは初めての経験ですが、これがとても楽しい。普段のプロジェクトで行っている調査に近い体験です。
なので、外で話すときも、正しい読み方を伝えようとせず、できるかぎり手放そう、むしろ反応を観察してみよう、というスタンスを取るようにしてみています。フィールドワークに近い感覚です。どうしても書き手のエゴのようなものがムクムクと顔を出す瞬間がないわけではないのですが、なるべくやりとりを増やし、その場にいる人が何を考えるのかを見るのが良いと思っています。
「いい意味で裏切られた」
そのなかで、ある参加者の方からこんな感想をいただきました。
UXという言葉に惹かれてセミナーに来た。もっとかっこよくて、素敵で、洗練されたデザインの話を聞く場だと思っていた。けれど、いい意味で裏切られた、と。
これは、以前から気になっていたことの一つでした。
UXという言葉には、いつの間にか特定のイメージがこびりついています。洗練された画面、気の利いた導線、心地よいインターフェース。日本ではとくに、UIと並べて語られることの多い言葉です(書店でもUIUXという棚に置かれているのを複数のお店で見ています)。
もちろん、画面の使いやすさは体験の質を高めるうえで欠かせない領域です。ただ、私たちが『選ばれるUX』で扱いたかったのは、その奥にあるもの―人の行動に影響を与える「見えない仕組み」でした。
本のなかでは、IDEOのティム・ブラウンが2009年に行ったTEDトーク「Designers—think big!」を引いています。デザインの対象を製品の形状や使いやすさに閉じず、もっと大きな社会的課題にまで広げようという呼びかけです。私たちがUXに見ていたのも、インターフェースにとどまらず、仕組みをつくり、やがて社会に根づくインフラにまで届きうる可能性でした。
ですので、いただいたあの感想には、自分たちが本で試みたことが、少なくとも一つは届いたという手応えがありました。
読書は、先入観ごと始まる
同時に、実感として分かったこともあります。こちらがその意味でUXという言葉を使っていなくても、読む人はそのイメージを携えてやって来る。読書は、その先入観まで含めて始まる、ということです。
頭では分かっていたつもりでしたが、生のリアクションとして受け取ってはじめて、想像以上にUXという言葉は狭く扱われているのかなと実感しました。
私はどこかで、UXが画面の使いやすさにとどまらず、人を取り巻く仕組みにまで関わる仕事だという感覚は、ある程度共有されていると信じたかったのでしょう。そこで実際の反応に触れ、そう思っていたのは自分だけだったのかもしれない、と小さく衝撃をうけたりもしています。
随分昔に「あなたの語るUXは、UXではない」と言われたことがあります。そのときの感覚と、今回の実感は、いまも地続きなのだと思ったりもしています。
とはいえ、UXという言葉を捨てたいわけではありません。むしろ、そのイメージに惹かれて来てくれた人に、入口で想像していたのとは少し違う景色を見てもらえたら、と考えています。
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これから、さまざまな人がこの本を手に取ってくれると思います。どんな反応が返ってくるのか、楽しみにしています。
そのなかで何人かが、「UXというのは、自分が思い描いていたものとは違う広さや深さを持っているのかもしれない」と感じてくれたら。この本を出した意味は、そこにもあったのだと思います。


