デザインプロセスの何が変わったのか
「デザインプロセスは、もう死んでいると思う」
Claudeのデザインを率いるJenny Wenのこの言葉は、ここ最近よく見かけるようになった主張の一つです。
(Jenny Wenへのインタビュー動画はこちら)
AIによって、思いついたものをすぐに実装できるようになる。
エンジニアは、複数のAIを走らせながら、機能をどんどん形にしていく。
そのスピードの前では、モックを丁寧に整えてから実装に移るという順番そのものが、成立しにくくなっている。
だからJenny Wenは、「美しいモックをつくっている時間はない」と言います。
この言葉は、少し刺激的です。
そのため、ともすると「デザインプロセスそのものが不要になった」という理解につながりやすい。
ただ、私はこの捉え方には少し違和感があります。
プロセスが消えたのかというと、どうもそうではない。
反復的に試し、調整するというプロセス自体は変わっていないと思います。
試して、直して、また試す。
この構造は、これまでのデザインの現場でも、繰り返し使われてきたものであり、今も有効だと考えます。
では、何が変わったのか。
シンプルに言えば、「仮の実体」を作りこむ必要が薄れた、ということではないかと思います。
私たちはずっと「仮の実体」を作ってきた
振り返ってみると、「作って試す」という営み自体は昔から続いてきました。
IDEOの医療器具をその場にあったペンや洗濯バサミで形にして、「こういうことですか?」とその場で確認し、磨いていった事例はあまりに有名です。2000年代初頭、『発想する会社! ― 世界最高のデザイン・ファームIDEOに学ぶイノベーションの技法』で語られた考え方はイテレーションという概念を持ち込んだ大きな分岐点だったと思います。

デジタルプロダクトでも、同じころにPaper Prototypingという手法が生まれました。
紙に画面を印刷し、切り替えながら操作してもらう。実際のシステムではないけれど、それらしく振る舞うものを用意する。ユーザーには、それをあたかも動くもののように触ってもらう。

そこにあった発想はシンプルです。
完全なものを作る前に、試す。そしてそのために、実体ではないものを、「プロトタイプ」としてあえて作る。
このやり方は、とても合理的でした。
実装にはコストがかかる。一度作ってしまうと、直すにも時間がかかる。関係者の合意形成も必要になる。本番環境に出せば、当然ユーザーにも影響が出る。
だからその前に、できるだけ間違いを減らしたい。
そのために、「仮」を用意していたのです。
言い換えれば、プロトタイプとは、単なる未完成品ではありません。
いいものを、限られたコストでつくるための工夫でした。
「仮の実体」という中間層をつくることで、私たちは低いコストで学ぼうとしていたのだと思います。
「仮」である必要がなくなりつつある
いま起きている変化は、この前提にあります。思いついたものを、そのまま動く形にする。
そして、そのまま試す。
以前なら、まずは紙やモックで試していたものを、今は実際に動くものとして作れる。
単機能の小さなツールであれば、実環境に出して、使いながら直していくことも現実的になっています。
このとき起きているのは、プロトタイピングという営みが消えたことではありません。
「仮である必要」がなくなりつつあると捉える。
実装そのものが、試行の場になる。
本番環境そのものが、学びの場になる。
これはかなり大きな変化です。
やっていることは変わらない
ここで重要なのは、やっていること自体は変わっていないという点です。
試して、直して、また試す。
この構造は、Paper Prototypingの時代から変わっていません。
ただ、その中で扱っているものが変わりました。
これまでは、仮のものを用意し、仮の反応を見て、仮の修正を考えていた。
いまは、実体をそのまま作り、実際の反応を見て、その場で修正する。
仮を経由しなくなっただけで、やっていることは同じです。
だから私は、「デザインプロセスが消えた」というよりも、反復的なプロセスは残ったまま、その対象が“仮”から“実体”に移ったと捉えたほうがしっくりきます。
それでも「仮」は不要になったわけではない
ただし、ここで話を雑にしてはいけないとも思います。
「仮である必要がなくなった」と言っても、すべてのプロジェクトで仮が不要になったわけではありません。
一度にリリースできないほど大きなものを、段階的に検討する。
複数の機能や業務、関係者が複雑に絡み合うプロダクトを設計する。
そうした場合には、依然として「仮の実体」を用意する意味はあります。
いきなり本番に出せないものは、今でもたくさんある。
作り直しのコストが高いものもある。
一部だけを実環境に出しても、全体の体験が見えないものもある。
そのような場合には、仮で検証することは、今でも有効なアプローチです。
つまり、仮が不要になったのではありません。仮を使うべき場面が変わったのだと思います。
小さく、単機能で、失敗してもすぐ直せるものなら、実体でまわしたほうがよい。
一方で、大きく、複雑で、影響範囲の広いものなら、仮を挟んで検討する意味は残る。
大事なのは、仮を守ることでも、仮を捨てることでもありません。
どこまでを仮で考え、どこからを実体で学ぶのか。その見極めです。
多産多死が許容されるなら
言うまでもなく、この変化の背景にあるのは、作り直しのコストが下がったことです。
小さなものなら、数時間でリリースできるレベルまで作れる。すぐ直せる。何度でも試せる。
そうであれば、事前に精度を上げることに時間を使いすぎるよりも、外に出して学びながら修正していく方が合理的になります。
これまでやってきた実験室実験も、もちろん意味はあったと思いますが、それはあくまでシミュレーションでもあります。
どれだけ丁寧に資料を作っても、出してみないと分からないことは残る。
どれだけ筋の良い仮説を立てても、実際の使われ方は想定を外れてくる。
もし多産多死が許容されるほど作り直しのコストが下がっているなら、現実の中で確かめた方が早い。
これは、かなり素直な発想だと思います。
小さく始め、世に出し、うまくいかなければ壊し、また作る。出したあとに何が起きているかを観察し、それをもとに更新し続ける。いつまでも完璧な状態を待つのではなく、試行錯誤のスピードを上げる。
それが許される環境では、そのアプローチを選ぶほうが品質は早く高まっていくと思います。
まとめ
「プロセスが消えた」という言い方は、いま起きている変化をうまく捉えているようで、少しだけ誤解を生みやすいと感じています。
実際に起きているのは、プロセスが消えたのではなく、「仮」が消えたという変化ではないでしょうか。
いや、より正確に言えば、仮を必要とする場面が狭まり、実体でまわせる領域が広がった、ですね。
試して、直して、また試す。その試行錯誤を、仮ではなく実体で行えるようになった。
この変化を捉え、どうものを生み出すかを考え直していく。
楽しい時間が来ていると思います。

