UXデザインの仕事は、ずいぶん分業されるようになった感覚があります。ユーザーを調査する人がいて、データを分析する人がいて、コンセプトを考える人がいる。それを受け取ってUIをつくる人がいて、できたものをまた別の人が評価する。
正直なところ、私はこうした分業には反対する立場をとってきました。考えた人がつくり、つくった人がユーザーの前に持っていき、その反応を自分の目で見て、自分の考えを書き換える。一人の頭の中で試行錯誤が進むほうが、仕事の組み立てとして適切だと考えてきました。
自分で聞いた回のほうが、ひらめく
持論ですが、調査は情報を集めるというより、自分の仮説を壊すプロセスだと思っています。
インタビューをしていると、自分が当然だと思っていたことを、目の前でひっくり返される瞬間があります。置いていた前提が違った、こちらが重要だと思っていたことにまったく反応してもらえない、等。何気なく置いたものに、思いがけず強い反応が返ってくる。
想定とのギャップに少しショックを受けながら、なぜこんなことが起きているのかと考え始める。自分の中にあった前提そのものが揺さぶられ、頭の中が動き出す。
実際、自分でモデレートした回のほうが、ほかの人が聞いた回よりも、インスピレーションがわくことが多少多い気がしています。理由ははっきりとは分かりません。集中力が違うのかもしれないし、次の一問を探しながら、相手の言葉を自分の仮説にぶつけ続けているからなのかもしれない。ともかく、そうなのです。
もちろん、分業していても、優れたリサーチャーは、多くのことを伝えてくれます。「この機能には反応が薄かった」「別の使い方が見られた」という事実を正確に拾い、発言を整理して背景のニーズを読み解き、見事なレポートにまとめることもできる。それでも、目の前で見たときの違和感や驚きまでは、報告の中に入りません。
ストレートに言えば、自分で得た感覚は伝えられないのです。
その場を離れてからも何かが引っかかっていて、なぜあんな反応をしたのか、自分は何を見落としていたのかと考え続けるのは、やはり自分でダイレクトにショックを受けたときが多いように思います。
練る、形にする、壊される
UXデザインの仕事は、仮説を練り、それを形にし、人の前に置いて壊してもらうことの繰り返しです。計画の上では企画、設計、制作、評価と工程が分かれていますが、実際には極めて反復的なプロセスです。頭の中では成立していたアイデアが、画面にしてみるとうまくいかない。必要だと思っていた説明を置いてみたら、ひどく説明臭くなる。逆に、つくっている途中で、当初は考えもしなかった可能性に気づくこともある。形にすること自体が、すでに仮説を変えているのです。そして人の前に置けば、それはまた壊されます。
仮説には、言葉にしきれない前提がたくさん埋まっています。なぜこのシナリオにしたのか。どこに自信があり、どこにはなかったのか。形にする途中で何を諦めたのか。それを一番よく知っているのは、仮説を考え、形にした本人です。だから目の前で何かが壊れたとき、「外した」という事実の先へ進んで、「ここが間違っていたらどこまで戻るべきか」を自分なりにあたりをつけられる。
練る、形にする、壊される。この三つは、本来ひとつながりの仕事なのだと思います。
言い訳がきかない、ということ
一人の頭の中でつなげて考えると、言い訳がきかなくなるという効用もあります。
自分が考えたサービスをユーザに見せて、「私は使わない」と言われたとします。作った側からすればショックな言葉です。
分業されていれば、意図せず逃げ道が生まれます。コンセプトを考えた人は見せ方が悪かったのではないかと思い、つくった人はそもそもコンセプトが弱かったと思う。場合によっては調査の仕方が悪かった、被験者の選定が違っていた、とも思う。
誰も責任を逃れようとしているわけではありません。それでも、結果をそのまま受け止めることなく、仮説も書き換わらないまま、プロジェクトが次に進んでしまうというシーンを多く見てきました。
自分で考え、自分で形にし、自分で人の前に持っていけば、そうはいきません。
見せ方のせいにも、聞き方のせいにも、つくった人の理解不足のせいにもできない。目の前で起きたことは、全部自分に返ってきます。言い訳ができない。なかなか居心地の悪いことですが、この居心地の悪さが次の仮説を変えます。
分業について今思うこと
もちろん、分業が進んだのには理由があります。考えることにも、形にすることにも、人から話を聞き観察することにも、それぞれ固有の技術がいる。一人の人間がそのすべてを身につけるには時間がかかりますし、人のスキルは思っている以上に伸びにくいものです。しかも、一人で企画を考え、プロトタイプをつくり、調査の準備をしてインタビューを行い、記録を整理してまた考えるとなれば、単純に仕事量が多すぎる。専門性を分けることで、短時間で何かしらの貢献ができるようになったのも確かです。
ただ、その前提が、この一、二年で変わってきました。
AIを使えば、簡単なプロトタイプなら自分でかなりのところまでつくれます。調査の準備や記録の整理にもAIの手を借りられます。考える人が、形にし、人の前に持っていくところまでを、負荷を大きく増やさずに担えるようになってきたのです。これは単なる効率化の実現というより、負荷を分散するために切り分けてきた仕事を、もう一度一人の頭の中につなぎ直せるようになったということだと思います。
一人の頭の中に戻す
とにかく一人ですべてをやることが大切なのではありません。優れたリサーチャーに助けてもらうこともあるし、デザイナやエンジニアの力を借りたほうがいい場面もある。
ただ、自分で仮説を持ち、形にすることでその無理に気づき、人の前に置いて思いがけない反応に少しショックを受けるというつながりは、簡単に手放してはいけないとやはり思っているのです。なぜこんなことが起きているのかと考えて仮説を書き換え、また形にする。私がこだわるのは、この学習のループです。
分業は、負荷を分散するためのとても合理的な方法でした。その負荷の一部をAIが引き受けてくれるなら、考える人がもう一度、つくる場所にも壊される場所にも立つことができる。
UXデザインを、一人の頭の中に戻す。それが、誰かに無理を強いることなくできる時代になってきたのかなと感じています。


