いま、ジェリー・Z・ミュラーの『測りすぎ』を読んでいます。パフォーマンス評価がなぜ失敗するのかを論じた本ですが、印象に残るのは理屈よりも、具体的な場面のほうです。学校、警察、病院。どれも、数字を追いかけるうちに、少しずつ崩れていく様子が描かれています。
学校:時間の使い方が歪む
ミュラーはまず、アメリカのテレビドラマ『ザ・ワイヤー』を取り上げます。そのなかに、貧困や家庭崩壊に苦しむ地域の中学校が出てきます。生徒の成績は悪く、テストの点数を上げられなければ、学校が閉鎖されるおそれがあります。
そこで教師たちは、共通テストまでの6週間、授業のすべての時間をテストの練習に充て、ほかの科目は無視するよう指示されます。この方針には「カリキュラム調整」という穏当な名前がついています。
測られる科目に時間が集まり、測られない科目から時間が抜けていく。点数は上がるかもしれません。けれども、生徒が受けるはずだった教育は、その分だけ痩せていきます。
警察:記録が書き換えられる
同じドラマの中心は、警察です。政治家は、犯罪が抑えられていることを示す数字を求め、警察幹部は、検挙率や逮捕件数の目標を達成することに執心します。
ギャングが廃屋に死体を捨てていると分かると、殺人課の刑事は、その死体が見つからないようにしようとします。見つかれば未解決の殺人事件が一件増え、検挙率が下がるからです。
時間をかけて大物の麻薬王を追う刑事たちもいます。けれども、その事件は立件までに何か月も、何年もかかる。上司は彼らを止め、小物の売人をたくさん逮捕して数字を積み上げるよう求めます。捕まえた売人は、すぐに別の誰かに置き換えられるだけだとしても。
現実を変えるより、現実の数え方を変えるほうが早い。注意したいのは、この話に悪人がほとんど出てこないことです。刑事たちはむしろ献身的で、上司は政治家に数字を求められている。それぞれが、自分の置かれた場所で、もっともな判断をしています。その積み重ねで、警察は犯罪を減らすという本来の仕事から離れていきます。
病院:患者が統計から消える
三つめは、元病院勤務医のジェド・マーキュリオが書いたイギリスのドラマ『ボディーズ』です。都市部の病院の産婦人科で、着任したばかりの上級外科医が、複雑な持病を抱えた患者の手術をして、その患者を亡くしてしまいます。
すると、ライバルの外科医がこう助言します。上級外科医というものは、自分の能力を脅かしそうな状況を、上級の判断力を使って避けるものだ、と。
つまり、成功率を保ちたければ、難しい症例は引き受けるな、ということです。実績に傷がつきそうなリスクを避けるこのやり方は「上澄みすくい」と呼ばれる、古典的な戦略だそうです。その代償は、手術を受ければ助かったかもしれない患者が、手術を受けられないまま、ほぼ確実に死に向かうことです。
手術を受けなかった患者は、手術の失敗例として記録されません。そもそも手術をしていないのですから。だから成功率は下がらず、むしろ上がります。
これはドラマのなかだけの話ではありません。ミュラーは、実際の医療でも、手術の成功率による評価が、リスクの高い患者を避ける動機になってきたことを紹介しています。
学校では時間が歪み、警察では記録が書き換えられていました。病院では、もう一段先まで進んでいます。崩れの当事者そのものが、統計から消えてしまうのです。数字がいちばん整って見えるときに、現場はいちばん崩れている。そういうことが起こりえます。
コンサルティング組織:数字で示しやすい案件が好まれるようになった
ここからミュラーの例ではなく、私の経験です。
数年マネジメントに関わって得た実感として、人は、思った以上に空気を読み、思った以上に適応しようとします。
何を最重要テーマに掲げるか。毎月のメンバーへの話で、何を語るか。それで組織のムードはかわります。「事例をつくろう」と言えば、みんなそのように動きだします。
事例創出を目標とする成果として数えるようにしたとき、たしかに組織は動きました。
そして、振り返れば当然のことですが、成果の伸びしろが大きく、しかも数字で示しやすい案件が好まれるようになりました。
当時、事例の多くは、たとえば「ウェブ経由の申込数が何倍になった」という形で語られていました。これは分かりやすいですし、フェアでもあります。誰が見ても良し悪しが分かり、手柄の取り合いにもなりにくい。成果を公平に扱いたい、メンバーの努力をきちんと認めたい、うまくいったことを組織全体で共有したい。事例を語ろうとした動機は、どれもまっとうなものでした。
ただ、当時から、私たちの仕事はそればかりではありませんでした。新しいサービスをつくる、事業そのものを定義し直す。そうした仕事は、時間がかかり、難度も高い。数年がかりの仕事であり、しかも最後に「何倍」という一行に収まるとはかぎりません。
事例を数える組織では、こうした仕事は、引いてもうれしくない「はずれくじ」になってしまいます。
病院で、難しい症例が避けられていくのと同じ構造です。誰もずるをしたわけではありません。地形が傾いた方へ、みんなが素直に流れただけです。そして、傾けたのは、毎月そう語っていた私自身でした。
そうした案件にばかり力が注がれると、中期の能力開発が止まります。目の前の事例は増えても、数年後に組織ができることは増えていかない。
わかりやすい指標に頼らないアプローチ
時間のかかる難しい仕事が、「はずれくじ」にならないための定義を、ずいぶん考えました。けれども、うまく言葉になりませんでした。サービス開発や事業の再定義の価値は、簡単には測れないのです。
最後に選んだのは、簡単には測れないということを認めたうえで、どういう案件、能力開発がこの組織に必要なのかを、とうとうと語ることでした。なぜ時間のかかる仕事を引き受ける人が必要なのか。それが数年後の組織の何になるのか。数字にはせず、繰り返し話しました。
定義できなかったから、語るしかなかった。そう見えるかもしれません。
ですが、私は、これが正しいやり方の一つだったと思っているのです。
なんでも分かりやすい指標に置き換えて渡すのではなく、必要があれば分かりにくい文脈ごと渡す。
指標にすればもちろんパワフルです。ただ、「文脈ごと渡す」というのも、何のためにその仕事があるのかを、一人ひとりが考え、自分の言葉で意義を考えるという効果がある。これで地味ながらも大事な回路が育ったように思います。
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ミュラーの本は、数字への過信を戒めます。数字は象徴的ですが、それだけでなく何を語るか、何を褒めるか、何に時間を割くか。人は思った以上にそれを読み取り、思った以上に適応します。
だから、傾きをまったく生まない運営というものは、たぶんありません。何も評価せず、何も語らないというわけにもいかないでしょう。
何かを発信した結果、どの仕事が増えたかだけでなく、どの仕事が引き受けられなくなったか。どんな成果が生まれたかだけでなく、どんな力が育たなくなったか。病院の話でいえば、統計に出てこない患者は、どこへ行ったのか。
そこには必ず何かしら意図せざる結果が生まれるもの、と思ったほうがよい気がします。
数字を置いた後は、そこからこぼれ落ちたものを見に行く必要がある。
簡単なことではありませんが、とても大切なことに思います。


