先日、あるクライアントからこんな言葉をもらいました。
コンサルタントは、事業が潰れるかもしれないというヒリヒリ感は分からないですよね。
批判ではなく、率直な実感としてお話いただいたと感じました。
その通りだと思います。プロジェクトには終わりがあります。けれど事業は続きます。成功しても失敗しても、その結果を何年も背負うのは事業側です。
ただやはり、その言葉をうけて考える部分もあります。
私的なメモに近いものでもありますが、少し残してみます。
事業会社とコンサルティングの境界を越える人たち
コンサルから事業会社へ移る人がいます。
私の過去の部下にも、そうした決断をするメンバーがいました。
動機を聞くと、給与や待遇の話よりも、「その後どうなったか見届けたい」という言葉が出てくることが多い。
逆に、事業会社からコンサルへ移る人もいます。
「社内力学に詳しくなるばかりで、それでいいと思えない」といったリアリティのある発言をよく覚えています。
実力をつけたい、意識を内側ではなく外側に向けたい。そんな想いをもって外部から支援する専門家の道に入ってくる。
どちらも、自分のいる場所から見えないものを求めているように思います。
それぞれの現実
自分なりに、それぞれの仕事を考えてみました。
コンサルティング:
コンサルティングは、ざっくり言えば、「正しいことを言う」訓練を受けます。空気を読むな、事実をベースに調査しないとわからなかったことを提示せよ。そんな言葉が飛び交います。
もちろん実行されることが大事な面があるので、クライアントの顔をつぶさないという視点はもちます。ただ、まずは意味ある発見と、効果のあるソリューションが提示できなければ雇われた意味がない、という立場で臨みます。
事業会社:
事業会社の現場には、「正しくても伸びない現実」があります。
組織の方向性を踏まえた大義を整理し、予算を確保し、調査・分析もして、社内も合意した、それでも動かないことがある。市場のタイミングや組織の抵抗、想定外の顧客反応。理屈だけでは越えられないものが、いくつも出てきます。それをまるごと受け入れ、ではどうするかを考える。
ままならない現実がそこかしこにあるなかで、ひとつひとつ乗り越えていく仕事だと私は捉えています。
経営者:
経営者はさらに別の場所にいます。十分な情報もなく、答えも見えない状態で、それでも投資する・採用する・撤退する・続けると決めなければならない。あえて言えば「(表面的に)正しくても止める、(表面的に)間違っていても進める」でしょうか。筋がとおっているのかを抑えつつも、ロジックだけで判断できない部分がある。
後からは何とでも言えることであっても、その結果を誰のせいにもできない。そんな苦しさがある仕事だと捉えています。
立場ごとに、見える景色が違います。コンサルには外から見える構造があります。事業会社には現場からしか見えない現実があります。経営者には、決断を背負うことでしか見えないものがあります。優劣ではなく、それぞれが別の場所から同じ事業を見ている。どの場所にいても、見えていないものは残ります。
外部にいることの責任
冒頭の言葉は今もその通りだと思います。事業の浮沈を、外から同じように感じることはできません。
事業を背負う人の怖さは、外部者が簡単に分かったふりをしてよいものではありません。
ただ、立ち位置が違えば、価値の出し方も違うと思っています。
私は、外部からご支援する立場です。
仕事をはじめて2年目くらいの頃に、あるクライアントから
「この報告書にかいてあることさ、本当にやるぞ?いいんだな?」
と言われたことがあります。
コンサルタントが引き受けているのは、そこで「やるべき」と断言する怖さだと思っています。
怖いから、執拗に情報を取り、仮説を作っては壊し続ける。
マイナスのレバレッジをかけてしまう恐れをもつ。
現実に触れずに、きれいなことだけを言わない。正しそうな整理で終わらせない。
煮詰めた先で、怖さを持ちながら言い切る。
事業会社は、コンサルタントに求める水準を保ち、ともに走り切り、最後は覚悟をもって実行する、あるいは止める、なのでしょう。
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それぞれの立場で磨かれる感覚もあると思いますし、それは補完的なものであれば幸せだと思います。
とりとめがないのですが、違う立場の方に敬意を表しつつ、己の立ち位置で出すべき価値に対して正直に仕事をするのだ、と改めて思ったのでした。


