組織の論理は、内側にも染み込む
以前、AIが組織の意思決定や実行に入り込もうとすると、便利かどうかではなく、権限・責任・判断の構造とぶつかる、その結果導入には慎重になるという話を書きました。(過去投稿)
今回は、少し視点を内側に向けたいと思います。
組織の論理は、外側にあるだけではありません。組織の中で長く働いてきた人間の内側にも染み込んでいきます。
ムクドリの群れには、リーダーがいない
最近読んだ本に、ムクドリの群れの話が出てきます。
数千羽のムクドリが、まるで一つの生き物のように空を動きます。旋回し、収縮し、広がり、また形を変える。あの複雑な動きに、指揮をとるリーダーは存在しません。飛行経路を指示する司令塔も、許可を出す上位者もいない。それぞれの鳥が、隣の鳥の動きにわずかに反応しながら動くだけで、群れ全体として驚くほど有機的な動きが生まれます。
この話が印象に残るのは、私たちの組織の動き方との対比が鮮やかだからです。
大きな組織では、動く前に許可がいります。方向を変える前に、根回しがいります。隣の人の動きに自然に反応するだけでは不十分で、「誰が承認したか」「どの順番で通ったか」が動きの正当性を決めます。それは理由のないことではありません。組織の規模が大きくなるほど、調整コストは上がり、全体を見る仕組みが必要になります。
ただ、そこで失われるものがあります。
「正しく動く能力」が育てるもの、弱らせるもの
組織の中で働き続けると、ある種の能力が育ちます。
何かを始める前に、「誰に確認すべきか」「どの順番で通すべきか」「この件は誰が気にするか」を自然に考えられるようになること。それは立派なスキルです。大きな組織が安定して動くために、会議・承認・合意形成・関係者調整は不可欠であり、それを上手にこなせる人が組織を支えています。
ただ、この能力を鍛えすぎると、もう一方の筋力が少しずつ弱っていきます。
自分で課題を見つけ、自分で作り、自分で試し、自分で判断する力です。
どちらが正しいという話ではありません。
ただ、組織の中で評価されやすいのは、前者です。誰に確認し、どの順番で通し、どのように合意をつくるか。その作法を間違えない人は、組織の中で信頼されます。
一方で、自分で小さく試し、自分の判断で前に進める力は、意識して使わないと鍛えられません。
「誰かに確認してから動く」ことは、時間とともに反射になります。確認が習慣になり、習慣が前提になり、やがて誰かの承認なしには動けない感覚が内側に定着していく。ムクドリのように、隣の状況に自然に反応して動くことが、だんだんと怖くなっていきます。
これは、その人が慎重になったというよりも、自律性という筋力が弱った状態に近いのかもしれません。
鍛えなおしの場づくり、という視点
最近、AIによって一人でも、小さく作り、試し、直すことができるようになってきました。
これを「人間の代替」として見るのは一面的だと思っています。もう一つの見方として、組織化によって弱っていた自律性を取り戻す補助輪として機能するのではないか、ということです。
要は、「作ったら、出してしまう」を自分の判断でやるということです。
「ソロプレナー」という言葉が注目されるとき、独立して一人で稼ぐ、というイメージで語られることが多いです。ただ、それよりも面白いのは、その手前にある感覚ではないでしょうか。自分で判断し、自分で動かせるものを、小さくても持っている感覚。誰かの承認を待たずに、一つ試せる感覚。
この弱まった筋肉を鍛えなおすような、そんな意味もあるように思っています。
—
組織の作法を否定したいわけではありません。影響範囲の大きい意思決定ほど、丁寧なプロセスが必要です。それは変わりません。
ただ、「組織の中で正しく動く能力」と「自律的に考え、試し、判断する力」は、意識しないとどんどん前者に偏っていくように思います。特に、キャリアが長く、役職が上がるほど、その偏りは見えにくくなります。承認というプロセスが当たり前化し、考えなくても、組織の「正しい」プロセスがまず頭に浮かぶものです。
(これは私自身、自覚しています)
ムクドリの群れが美しいのは、それぞれが自分で判断しながら動いているからです。全体の調整は、その結果として生まれます。
組織の中にいるからこそ、ときどき影響範囲の小さいところで、自分で作り、自分で試し、自分で判断する経験を意識的に持つことが必要だと思います。誰かに確認する前に、一度動いてみる。
その小さな経験の積み重ねが、弱りかけた自律性という筋力を、少しずつ保ち続けることにつながるのではないかと思っています。


