AIとともに働くなかでも、直感を錆びさせない。そのために、消えた段差を、自分で戻す。
そんな話をしてきました。(過去投稿)
さらに一つ、追加したい話があります。
AIとの仕事で、自分の感覚を錆びさせないための段差を残したくても、自分の意思にかかわらず組織側から「消せ」という圧力がかかってきます。
今期の数字の達成、生産性の目に見える向上、次世代の標準的な業務の定着。そんなミッションをもったマネジメントから見れば、敢えて段差をつけようとする動きは正直迷惑でしょう。
今回は、その圧力について考えます。
組織は、段差を消したがる
まず、なぜ圧力がかかるのか。ここは冷静に見ておいた方がいいと思っています。
私が読んだ論文(Caosun・Aral)が証明したのは、不穏なことでした。AIを使うかを決める人が、その代金を払わない、という非対称です。
5年で評価されるマネージャーは、AI活用でできるかぎりこなせる仕事量を増やしてもらいたがる。悪意ではありません。その人の立場からは、それが合理的だからです。
それによる技能の劣化は、マネージャー自身がそのポジションにいる間には表面化しません。代金を払うのは、もっと後の、別の誰か(20年のキャリアを見るメンバー本人)です。
そして、劣化は数字に出ません。速い。精度も悪くない。処理量は増えた。ウォッチすべき指標はすべて良好です。だから管理する側はこう言えてしまう。「全部うまくいってるのに、何が問題なの?」と。
これはつまり、こういうことです。組織にとって、あなたの段差は――立ち止まり、粘り、あえて自分でやってみる、あの一手間は――短期的には、ただの非効率です。
消す動機はあっても、残す動機がない。だから段差は、自然に消えるだけでなく、積極的に消しにこられる。ここは、期待せずに認めておくべきだと思います。
守る動機を持てるのは、代金を払う人だけ
ここで、多くの話は「では組織はどう変わるべきか」に行きます。でも、この構造をよく見ると、そこに出口はありません。
罠は、組織の合理性そのものから生まれています。
だとしたら、「組織よ、合理的な範囲でもう少し長い目を持ってくれ」という頼みは、残念ながらまず届かない。
合理的な人に、少し不合理になってくれ、と頼んでいるだけだからです。
仕組みが自動で助けてくれることは、少なくとも当面はありません。
でも、この同じ非対称を、裏返すと大事なことが見えます。決める人が代金を払わないなら――代金を実際に払う人だけが、段差を守る正しい動機を持っている。それは、現場の、個人です。
極論、組織は構造的に、10年20年のスパンで在籍メンバーの技能を守りきれないものだと私は思っています(いかに人格的に優れた経営者・マネージャーがハンドルを握っていても、です)。
一方、あなたは持てる。あなたがその借金を返す当人だからです。
だから段差の維持は、「組織がやってくれないから仕方なく個人でやる」のではありません。原理的に、個人にしか担えない。組織任せにできない、のではなく、組織任せにしてはいけない場所なのだと思います。
上に立っても、逃げ場はない
一つ、自分にも言い聞かせておきたいことがあります。私は管理される側でもあり、小さいながら、人に仕事を渡す側でもあります。
そして渡す側としても、直感は錆びるのです。
レビューという仕事をAIに渡しつづければ、上司も渡した仕事を判断する力を失っていく。
立場が上がっても、自分の段差を守る責任からは、誰も降りられない。
どの椅子に座っても、個人の実践は終わらない。逃げ場がない、というのは、裏を返せば、どこにいてもやることは同じだ、ということでもあります。
自分の責任で続ける
では、具体的にどう守るのか。特別なことではありません。直感を錆びさせないためにやるべきことを、圧力の中でも降ろさない、というだけです。
AIが出してきたものを、全部そのまま通さない。
一段だけ、自分で段差を戻す。
何も直さずに三回通したら、それ自体を危険信号にする。
週に一度でも、AIを外して自分の手でやる。刃を研ぐように。
今後AIの精度があがれば、人間を通すというステップは組織の短期合理性には反することも増えるかもしれません。ゴム印を無思考に押すように通してしまっても、成立してしまう状況になりうる。
そこに、段差を意図して挿入すれば、当然少し遅くなる。非効率になる。
それでも、やる。
—
いつか、組織の合理性が個人に追いつくのかもしれません。評価がもっと長い時間で回るようになり、技能の喪失が、事故や品質の問題として、管理のダッシュボードにも映るようになるという未来が来るかもしれません。
そうなれば、段差を守ることは非効率ではなく、リスク管理と呼ばれるようになる。
でも、それを待つ理由はありません。追いついても追いつかなくても、代金を払うのは自分で、守れるのも自分だからです。
直感を錆びさせないために、段差を自分で戻す、と書きました。
組織はその段差を消しにくる。それを分かったうえで、それでも自分で段差をつける。
それが、AIによるスピードアップの代金を払う人間の、まっとうな選択なのだと思います。


