若手が育つ場がなくなっている、という話をよく聞くようになりました。以前なら新人が担っていた調査、議事録、資料づくり、簡単な分析。そうした仕事をAIが引き受けるようになり、経験を積む入口がなくなっている。
そして、現場で育つ機会が減ると、次に出てくるのが研修です。
実務で経験できないのであれば、別に学ぶ場をつくる。ケーススタディを用意し、模擬プロジェクトを経験させ、体系的に知識を教える。
筋は通っています。
それでも私は、正直この方向に少し違和感があります。
研修が不要なのではありません。ただ、仕事の中から学ぶ場所が失われた問題を、仕事の外に学ぶ場所をつくることで解こうとしているように見えるのです。
AIが消しているのは、簡単な仕事だけではない
AIによって調査や資料作成が速くなること自体は、歓迎すべき変化です。
ただそれによって、熟練者が一人でAIを使って調べ、考え、資料まで仕上げるようになる。その横に若手はいません。「これを調べて」「まとめてみて」と頼まないので、なぜ調べるのか説明する必要もない。戻ってきたものを見て「そこではない」と返すことも、その理由を話すこともない。
AIは作業を自動化すると同時に、本物の仕事の周辺に参加する入口まで削る。だからといって、昔の作業を教育のために残し続けるのも難しい。AIなら30分でできることを、経験になるからと半日かけて人にやってもらう。意味はあっても、仕事を進める合理性とは逆方向です。
人は結局、最短距離を走ります。昔の仕事を保存して、昔の育ち方を再現する。その地形には、もう戻れないのだと思います。
それでも、シニアは一人ですべてを持てない
ただし、ここで話は終わりません。
AIによって、熟練者が一人で扱える作業量は一気に増えました。調べる。整理する。文章を書く。コードを書く。資料をつくる。
では、いずれ一人で全部できるようになるのか。
私は、そうはならないと思っています。
自分で仕事をとり、デリバリをしていて思いますが、一つひとつの作業が速くなっても、自分が責任を持って見続けられるテーマの数には上限があります。五つは持てても、五十は持てない。
どこかで、シニア側にも仕事が溢れます。
ここには、まだ人に仕事を渡す合理性が残っています。
最後に余るのは、責任なのかもしれない
以前なら、仕事が増えると作業を渡そうとすることが多かったのではないでしょうか。
「この競合を調べて」
「この資料をつくって」
「このインタビューを整理して」
今は、その部分はAIでかなり処理できます。
それでも抱えきれなくなったとき、最後に余るのは、「この問題そのものを、誰かに持ってほしい」という部分になっていくのではないかと思います。
「この5人のインタビューを整理して」ではなく、「なぜこの人たちはサービスを離れたのか、あなたなりに結論を出して、何を変えるべきか提案しきってほしい」と渡す。
調査や分析や資料づくりにAIをどう使うかは、本人に任せればいい。でも、何を重要と考えるか、どこまで確かめるか、最終的に何を提案するかまで預けきる。
AIによって、人に渡す合理性が残る単位が、作業から責任へ上がっていくのではないかと思います。
小さな仕事を、一周する
ここに、若手が育つ新しい場所をつくれないか。
若手のために架空の仕事を用意するのではありません。シニアが本当に持ちきれなくなっている仕事の中から、小さくても一つの責任として閉じられるものを渡す。
教育設計には「whole task learning」という考え方があります。複雑な仕事を学ぶとき、細かな技能を一つずつ練習するだけではなく、小さくても始まりから終わりまである、一まとまりの仕事を経験する。
料理なら、玉ねぎだけを切るのではなく、簡単な朝食を一食つくる。仕事なら、競合の比較表を作るのではなく、ある問いについて自分なりの結論まで出す。
AIが部分作業を補助してくれるなら、以前より早い段階から、こうした小さな仕事を一周できるかもしれません。
AIを使って調べる。必要なら人に聞く。考える。試す。結果を見る。もう一度考える。
そこには研修とは違うものがあります。
自分の判断によって、実際の仕事が少し前に進む/あるいは進まないという現実があり、いかなる結果になろうとも誰かが心からその結果を待っている。
未熟さが残っていてもアウトプットがゼロにはならない環境ができた今、小さな実戦の場は、むしろ以前よりつくりやすくなっている感覚もあります
育成のためではなく、仕事を進めるために渡す
この、小さい実戦。研修ではなくあくまで実戦であることが私には大事に思えます。
若手を育てるためだけに仕事をつくると、どこかで無理が出ます。でも、シニアには責任を持てる量の上限がある。だから、本当に誰かに持ってもらう必要がある。
若手は、その小さな責任を引き受ける。その結果として、経験が積み上がる。
これは、「OJT」という名のもとに実戦環境に早い段階から入ってもらっていた、昔の育成と似ています。
その時代にただ戻るというより、あの時代に体力で最後は何とかしていた部分はAIの支援が受けられる、その前提で実戦を重ねる。
仕事が最短で進む合理性と、人が育つことが重なる場所を今も探すのが大事なのだと私は思っています。
学ぶ場所を、仕事の外へ追い出さない
研修はこれからも必要です。ただ、仕事から学ぶ場所がなくなるたびに、その分を研修で埋めていけば、仕事をする場所と、人が育つ場所は、だんだん別のものになっていきます。
今の時代であっても、シニアが持てる責任の量には限界がある。
だから、小さな本物の責任が、人から人へ流れていく道をつくれないか。
学ぶ場所を仕事の外につくる前に、仕事そのものを、もう一度人が育つ場所にできないか。
もちろん難しさはあります。簡単に責任は渡せない。怖い。負荷が上がれば疲弊してしまわないかと心配にもなります。
ですが、試してみたいのは、そちらだと思っているのです。


