AIの進化を眺めていると、自分たちの仕事について考えることが増えてきました。
以前できなかったことができるようになる。以前は時間のかかった作業が、短い時間でそれらしい形になる。すごいな、と思う場面が増えると同時に、では自分には何が残るのか、という問いが浮かんできます。
これは不安、というより純粋な問いとして、です。
支援される仕事
プロジェクトマネジメント、アイデアの具体化、デザイン、実装、文章化、情報の整理と要約。かつては時間のかかる知的労働だったことの多くが、AIによって強力に支援されるようになっています。
リサーチも、その一つです。仮説の洗い出し、競合分析、論点の整理、先行事例の収集。以前は何時間もかけていた作業が、短い時間でかなりの形になる。比較、分類、まとめ。こうした作業のスピードは、明らかに上がっています。
この変化を「脅威」として受け取ることもできます。けれど私には、どちらかといえば「再配置」のように感じられます。仕事の内容そのものが変わっていく。なくなるのではなく、構造が変わる。
知識を探す、構造を整理する、文章にする。こうした作業にかけていた時間とエネルギーが、少しずつ浮いてきた。
では、それをどこに置きなおすのか。
知識のマトリクス
以前、KEIO EDGEというプログラムで、「知識のマトリクス」という考え方を教えてもらいました。

情報を持っているかどうか、そしてその問いを認識しているかどうか。この2つの軸で、知識の状態を4つに分類するものです。
- 知っていた:自分が情報を持っていて、その問いも認識していた
- 思い出した:自分は情報を持っていたが、問いとしては認識していなかった
- 仮説検証:自分は情報を持っていないが、問いとしては認識していた
- 新発見:自分は情報を持っておらず、その問いの存在すら認識していなかった
このマトリクスを思い出すたびに、AIが何を変えているのかが、少し明確になる気がします。
AIが得意な領域
「思い出す」「確認する」「仮説検証する」という3つの象限は、AIが非常に強力に支援してくれます。
何かを知っていたはずだけど出てこない、という状況では、AIがすぐに補ってくれます。知っているかどうかわからないことでも、問いの形さえ作れれば調べることができる。仮説の洗い出し、反証の探索、比較整理、論点の言語化。こうした作業は、以前と比べて格段に楽になりました。
答えを出すためのエネルギーは本当に軽くてよい、という実感があります。
それでも残る「知らないことを、知らなかった」
けれど、4番目の象限だけは、少し違います。
「新発見」——自分は情報を持っておらず、その問いの存在すら認識していなかった領域。
これは、問いがそもそも立っていない状態です。
見るべき対象だと思っていなかった。
問いとして立てることすら思いつかなかった。
そもそも観察対象にもなっていなかった。
「知らないことを、知らなかった」という言い方が、この状態を一番よく表している気がします。
この状態から発見が生まれる瞬間は、現実との接触から来ます。フィールドに出る。人の話を聞く。行動を観察する。そこで感じた小さな違和感が、やがて「あ、問いの立て方がそもそもおかしかった」という気づきになる。
それは、知識が増えた、という話ではありません。認識の更新、です。まだ問いになっていない何かが、観察を通じて初めて問いとして立ち上がる。世界の見え方そのものが変わる、というのは、こういうことだと思います。
AIは、問いを渡せば強力に答えてくれます。しかしこの「問いが生まれる瞬間」そのものには、まだ自動でたどり着いてくれない。そこだけは、現実に触れた人間のそばにある、という感じがします。
UXリサーチで本当に強い発見は
UXリサーチの現場でも、同じことが起きます。
操作性の問題を見つけること、ユーザビリティの評価、エラーパターンの分類。こうした作業の多くは、すでに「問いが立っている」状態です。「ここが分かりにくくないか」「このステップは多すぎないか」という問いが先にある。AIは、この種の作業を強く支援してくれます。
けれど、本当に強い発見は、問題設定そのものが変わる瞬間にあります。
ユーザーは効率化したかったのではなく、安心したかったのかもしれない。
管理したかったのではなく、罪悪感を減らしたかったのかもしれない。
継続できないことが問題なのではなく、「継続しなければならない」という構造に疲れていたのかもしれない。
これらは、「効率化できていますか」「管理できていますか」「継続できていますか」という問いから出発していたら、たどり着けなかった発見です。最初の問い自体が、ずれていたのです。
こういう発見が生まれるのは、インタビューの最中に何かが引っかかったとき、観察中に予想と違う行動を見たとき、現場で感じた「あれ?」というごく小さな違和感からです。
現実に触れ、違和感を感じ、問いそのものを変えることで初めて見えてくる。観察とは、そういうものだと思います。
AIは検証を速くするが、発見には連れていってくれない
AIは、問いに対して答える力が非常に強い。
しかし「何を見るべきか」「何を問題として扱うべきか」は、現実に触れることで生まれる違和感から来ます。まだ言葉になっていないものは、検索できません。プロンプトにも書けない。なぜなら、それはまだ「問い」として立っていないからです。
AIは、こちらが問いを渡したときに初めて動き始める。問いを渡す前の段階——つまり「そこに問いがある」と気づく前の段階は、現実の観察から生まれます。
仮説検証のスピードは上がっています。でも、仮説そのものを立てるためには、まず「この問いを立てていなかった」と気づく必要があります。その気づきは、データの中には最初からない。現実に出て、人に会い、自分の目で見ることから生まれる。
問いを変える仕事へ
AIが強くなるほど、間違った問いを高速に進めてしまう危険も増す、と思います。
方向が正しければ、スピードは力になります。しかし方向が間違っていれば、スピードはただ遠くまで連れ去ってしまう。「使いやすいが、そもそもいらないもの」がより精巧に、より速くできあがる、という皮肉な未来もありえます。
だからこそ、現実に触れ、問いを立て直す仕事が、以前より重要になっていくのではないか。人間の仕事は「答えを出すこと」から「問いを変えること」へと、少しずつ移っていくのかもしれません。
そしてそれは、とても地道な作業です。フィールドに出る。話を聞く。観察する。違和感を書き留める。そこから問いを育てる。派手さはないけれど、こうした作業の積み重ねが、やがてすべての起点になる。
問いが変われば、その後はAIが強力に支援してくれます。検証のスピードは上がり、言語化も助けてもらえる。だからこそ人間は、まだ問いになっていないものを感じ取ることに、集中していける。
名前のついていない違和感を拾い、まだ誰も観察対象にしていなかった現実に触れる。そこで感じた「あれ?」を手放さずに持ち続け、問いとして形にする。
AI時代に残る仕事は、「知らないことを、知らなかった」を見つけることかもしれない。そこに、知的な面白さが集約されていくのではないか、という気がしています。


