以前は、同じ会社・同じチーム・同じ実務経験を共有する共同体の中で仕事をしていました。 その中では、「ジャーニー」「ブループリント」「ペイン」「体験設計」といった言葉の定義を、いちいち確認しなくても仕事が進んでいました。
「一度、壁打ちさせてください」 コンサルティング営業をしていると、この言葉を使う場面が何度もあります。まだ提案するには早い。でも、相手の話を聞いて、論点を整理して、テーマの輪郭をはっきりさせるお手伝いはできる。
AIを使って文章を書いたり、企画をまとめたり、提案を整えたりする機会が増えました。以前なら初稿をつくるだけでも時間がかかっていたものが、今はかなり整った形でさっと出てきます。構成も論理も破綻が少なく、読みやすい。
AIについて語るとき、私たちはつい「AIに何を任せるか」と考えます。調査を任せる。文章作成を任せる。議事録を任せる。レビューを任せる。コードを書くことを任せる。判断の補助を任せる。 もちろん、それは便利であり、実際に大きな変化です。
毎日触れているものが、少しずつ自分を変えている。そう言われると、多くの人は「何を見ているかが大事」という話だと受け取るかもしれません。でも、ここで考えたいのは、もう少し手前のことです。
もともと私は、AIに人間の代わりをさせたいとは思っていませんでした。 ただ、自作のレビューボットを作り、実際に使い続けるうちに、「AIに何をやらせるか」という発想そのものに、少し違和感を持つようになってきました。
先日、あるクライアントから、こんな言葉をもらいました。 コンサルタントは、事業が潰れるかもしれないというヒリヒリ感は分からないですよね。 意地悪な批判ではありませんでした。事業を長く背負ってきた人の、率直な実感でした。
組織の論理は、内側にも染み込む 前回の記事で、AIが組織の意思決定や実行に入り込もうとすると、便利かどうかではなく、権限・責任・判断の構造とぶつかる、という話を書きました。 今回は、その続きとして、少し視点を内側に向けたいと思います。
企業のAI導入は慎重に進む一方で、現場の個人はすでにAIを日々の仕事で使い始めています。この「慎重な組織」と「速く試す個人」のズレを、組織学習の機会に変えるにはどうすればいいか。AI活用コンテストの意義と、その先に設計すべき「観察と翻訳の仕組み」について考えます。
AIは経営者の片腕になるのか 最近、意思決定とAIの関係について、いくつかの会社の経営者に話を聞く機会がありました。 こちらが持っていた仮説は、比較的素直なものでした。経営には複雑で曖昧な判断がつきまとう。