仕組みは、朝の点呼から入っていった
国内の配車サービスが広がっていった頃の話を聞きました。扉を開けたのは設計の良さではなく、扉が開いたときに手が届く距離にいたことでした。成果になる前の時間について考えます。
国内の配車サービスが広がっていった頃の話を聞きました。扉を開けたのは設計の良さではなく、扉が開いたときに手が届く距離にいたことでした。成果になる前の時間について考えます。
『選ばれるUX』の刊行をきっかけに、人前で話す機会が増えました。ありがたいことです。
世に出た本が、どう読まれるかは読者に委ねられます。こちらが中心だと考えていた章を読み飛ばす人もいれば、何気なく書いた一文を長く覚えている人もいるでしょう。どう読んでもらっても構わない。そう構えていなければ、書き手としてあまり健やかではないように思います。
本が読まれはじめる場に立ち会うのは初めての経験ですが、これがとても楽しい。普段のプロジェクトで行っている調査に近い体験です。
なので、外で話すときも、正しい読み方を伝えようとせず、できるかぎり手放そう、むしろ反応を観察してみよう、というスタンスを取るようにしてみています。フィールドワークに近い感覚です。どうしても書き手のエゴのようなものがムクムクと顔を出す瞬間がないわけではないのですが、なるべくやりとりを増やし、その場にいる人が何を考えるのかを見るのが良いと思っています。
そのなかで、ある参加者の方からこんな感想をいただきました。
UXという言葉に惹かれてセミナーに来た。もっとかっこよくて、素敵で、洗練されたデザインの話を聞く場だと思っていた。けれど、いい意味で裏切られた、と。
これは、以前から気になっていたことの一つでした。
UXという言葉には、いつの間にか特定のイメージがこびりついています。洗練された画面、気の利いた導線、心地よいインターフェース。日本ではとくに、UIと並べて語られることの多い言葉です(書店でもUIUXという棚に置かれているのを複数のお店で見ています)。
もちろん、画面の使いやすさは体験の質を高めるうえで欠かせない領域です。ただ、私たちが『選ばれるUX』で扱いたかったのは、その奥にあるもの―人の行動に影響を与える「見えない仕組み」でした。
本のなかでは、IDEOのティム・ブラウンが2009年に行ったTEDトーク「Designers—think big!」を引いています。デザインの対象を製品の形状や使いやすさに閉じず、もっと大きな社会的課題にまで広げようという呼びかけです。私たちがUXに見ていたのも、インターフェースにとどまらず、仕組みをつくり、やがて社会に根づくインフラにまで届きうる可能性でした。
ですので、いただいたあの感想には、自分たちが本で試みたことが、少なくとも一つは届いたという手応えがありました。
同時に、実感として分かったこともあります。こちらがその意味でUXという言葉を使っていなくても、読む人はそのイメージを携えてやって来る。読書は、その先入観まで含めて始まる、ということです。
頭では分かっていたつもりでしたが、生のリアクションとして受け取ってはじめて、想像以上にUXという言葉は狭く扱われているのかなと実感しました。
私はどこかで、UXが画面の使いやすさにとどまらず、人を取り巻く仕組みにまで関わる仕事だという感覚は、ある程度共有されていると信じたかったのでしょう。そこで実際の反応に触れ、そう思っていたのは自分だけだったのかもしれない、と小さく衝撃をうけたりもしています。
随分昔に「あなたの語るUXは、UXではない」と言われたことがあります。そのときの感覚と、今回の実感は、いまも地続きなのだと思ったりもしています。
とはいえ、UXという言葉を捨てたいわけではありません。むしろ、そのイメージに惹かれて来てくれた人に、入口で想像していたのとは少し違う景色を見てもらえたら、と考えています。
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これから、さまざまな人がこの本を手に取ってくれると思います。どんな反応が返ってくるのか、楽しみにしています。
そのなかで何人かが、「UXというのは、自分が思い描いていたものとは違う広さや深さを持っているのかもしれない」と感じてくれたら。この本を出した意味は、そこにもあったのだと思います。
9月19日に、本が出ました。『選ばれるUX――「日常に溶け込む」体験のつくり方』という一冊です。
なぜこの本を書き始めたのか、という話を残しておこうと思います。10年ほど前のことから始まります。
10年前は、私にとって一つの転換期でした。
中国でデジタルがものすごい勢いで暮らしに入っていった時期です。よく覚えているのはQR決済。特別な機器がなくても、紙に印刷されたQRさえあれば、お金のやり取りができてしまう。当時の日本では、まだ現金でのやりとりが多い中、タクシー運転手や露天商が印刷されたQRの紙を大きく貼って商売をしている姿は、当時の私には衝撃でした。
2018年に中国に訪問した際の写真ですが、当たり前のように決済がデジタルでなされること、それは特別な機器をもっていない普通の人が紙に印刷されたもので実現していることに頭を殴られた感覚をもったことを覚えています。

他にも位置情報を使った自転車レンタルや、フードの配送、タクシーの配車など、全員がスマートフォンを持っていればこういうことができる、というサービスが急激に花開いていく「未来図」が中国に行けば体感でき、これは必ず日本にも来ると確信をもつ会社は多くありました。私もお客様と一緒に、何度も中国へ視察に行きました。その頃の経験をまとめたのが、ビービットの同僚、藤井保文の『アフターデジタル』です。
この『アフターデジタル』が広まると同時に、「うちもそういうことをやりたい」というお声がけが増えていきました。
もちろん、私としてもそうした未来を作る仕事にはワクワクしますし、自分も、会社も能力を伸ばすということでは必須のチャレンジです。当然飛びつきます。
ただ、実際に手を付けてみると、そうした社会インフラの作り方など知らないのです。
暮らしの中に、意味のある仕掛けがどう入っていくのか。視察で散々見てきたのですから、分かっているつもりでしたが、それをどう組み立てていくのかとなると、手順が何ひとつ浮かばない。どこから山を登っていいかわからない。当時の私にとって、完全な未体験の領域でした。
2010年代半ばくらいまでの仕事は、画面のユーザビリティを改善する、コンバージョンレートを上げる、といったものが相対的に多く、積み上げてきた型がありました。そこからの段差が非常に大きいことを最初は分からずにいたのです。暮らしに溶け込んだデジタルを前提に、どんなサービスを作るのか。いわば事業の再定義をしようというような種類の仕事であることに気づいていなかった。検討のレイヤーが急に上がった途端、慣れ親しんだ仕事の型が、まるで使えなくなりました。
今でも覚えていますが、3ヶ月で受注した案件を、9ヶ月やっていました。寝ないで仕事をしても空転する。「世界はこうなっていく」と偉そうに語ってきた人間が、いざ作るとなると何も出せない。苦しく、怖く、溺れてもがくような感覚を今も覚えています。追い詰められて、アイデアソンのようなことをやってみたりもしました。いま思えば、あれは何かが積み上がるようなアプローチでもなく、ただ焦りが表に出ただけでした。
振り返ると、直接のヒントになったのは、クリステンセンの『ジョブ理論』でした。デジタルの本ではありません。ただ、どうやって積み上げていいか分からなかった私に、暮らしの中に放置されているペインを見つけ、それを軽くする仕掛けを作ればよい、という思考の軸を授けてくれたことは、とてつもなく大きかったと思っています。さらにいえば、その仕掛けが、広い意味での代替品よりも優れているから、人はそれを雇う。生活に溶け込んでいく。その視点で練りこめばよいのだ、というのは大きなヒントでした。
発想の仕方、ものを考えるレイヤーを急激に変えるのはとても苦しいものでしたが、受注した手前、やらざるをえなかった。徐々に能力を伸ばすというより、できないことを無理やりやった。そんな感じでした。
そこから、10年、サービスや事業を作るご支援を繰り返してきました。10年やると、うまくいく場合と、うまくいかない場合の感覚が、なんとなく身についてきます。言葉にはなっていないけれど、これは進む、これは止まる、という手触りのようなものです。それを落としてみたのが、この本です。
ピーター・ジョーンズの『システミックデザインの実践』に、私が深く共感するくだりがあります。スタジオの中で作り切れる小さなプロダクトと、人間がその一部に含まれるような大きなシステムとでは、そもそも作り方が違う、必要とされる能力も違う、というものです。
たとえば、人が介在しないと成り立たない仕組みを作ろうとすると、社内でワークショップを重ねて賛同者を増やすといった、まったく違う能力が求められたりします。10年前の私には、そんな視点はありませんでした。ノウハウもなく、やり方も分からなかった。
これからそういうものに挑む人が、「仕事の全容」を掴む助けにしてくれたら、と思っています。
失敗しないため、ではありません。挑戦すれば転びます。ただ、それでもいま自分が何にチャレンジしているのかが分かっていれば、失敗は糧にしやすい。そのために使ってもらえたなら、この本を書いた意味はあったのだと思います。
Pokémon GOが世に出て10年。かつて池袋で見かけた、言葉を交わさずに画面を見つめる人だかりを思い出しながら、つくり手がもともと描いていた風景と、実際に生まれた風景のずれについて考えました。
この20年で、UXという言葉が引き受ける範囲が、ずいぶん広くなりました。
私がこの仕事を始めた2000年代初頭、UXの仕事の中心は画面の使いやすさでした。ヤコブ・ニールセンの提示する原則に沿い、磨き上げる。それだけでも資料請求の件数が大きく伸びるような時代です。
そこから、徐々にデジタルが日々の暮らしに溶け込んでいきました。
サービスを新たに作る、事業を再定義するというサイズの取り組みも増えました。
そうなると、利用者だけを見ていては不十分なケースも出てきます。利用者と事業者の双方に利益が立つ関係をどうつくるか、そのためにどんな仕組みをつくるべきかという問いに対峙するようになっていきました。
最近ではAIが人とサービスの間に入るようになり、「AIにとって扱いやすい仕組みか」という視点まで出てきています。
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それでも、私のやっていることは、あまり変わっていません。
結局のところ人の体験をつくるのはいわゆる「タッチポイント」と呼ばれる個々の接点です。
それをつくって、人に触ってもらい、直す。飽きるほど繰り返す。対象が画面から仕組みに広がっても、このアプローチは変わっていません。
断言しますが、どれだけ経験を積んでも、打率が10割になることはありません。外し方が変わるだけで、外さなくなるわけではないのです。
理由ははっきりしていて、つくった人と使う人では、見えているものが必ず違うからです。作り手の視点と、使う側の視点はどうやってもズレます。このズレは、努力や才能で埋まる種類のものではありません。つくった時点で、もう埋められないのです。
だとすれば、外れないようにすることを目指すより――外れたときに戻れるように、仕事の仕方のほうをつくっておく。かなり初期から、その発想は持っていたように思います。
私が教わり、ずっと続けてきたのは、単純な方法です。
はじめて使う人を連れてきて、「私はここにいないものとして扱ってください」と伝え、好きに使ってもらう。あとは横から覗き込む。
すると、こちらが当然わかるはずだと思っていた言葉が、通じていない。いちばん大事にしていたところを、読み飛ばして先に進んでいく。まったく違う意味に受け取って、しかも本人はまったく迷っていない。そんなことが、経験を積んだ設計者がつくったものからも、ぽろぽろと出てきます。
その場では、もちろんショックもあります。よいと信じて用意してきたものが、思っていたようには受け取られていないのですから、当然です。けれど、そこで見えたズレは持ち帰って直せます。直して、また別の誰かに触ってもらう。その繰り返しで、少しずつ、意味のあるものになっていきます。
世の中には、一発で正解にかなり近いところまで行ける天才もいるのでしょう。
そうではない普通の人は、汗をかき、回転数をあげる。外して、戻って、また出す。そうやれば、天才でなくても意味あるものづくりに確実に近づける。それは今も確信があります。
つくって、触ってもらって、直す。この繰り返しは、我慢や真面目さの話として語られがちです。手間のかかる、地道な工程として。
でもこのプロセスは、知的に楽しいものでもあるのです。
かならず読み違えがある。その読み違えたところには、自分が「知らないことも知らなかった」が落ちています。それを拾って、もう一度出す。終わりのないプロセスではありますが、何度でも潜っては、磨くところを探して、変えていく。
そんな面白みを味わいながら、クライアントの皆様、また一緒に働くメンバーとプロジェクトをこれまで重ねてきました。
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こうしたUXデザインの経験を、本にしてみました。『選ばれるUX――「日常に溶け込む」体験のつくり方』というタイトルで発売されます。
英治出版のサイトで「はじめに」が公開されました。
あわせて、藤井保文さんに寄せていただいた「本書に寄せて」も公開されています。
よろしければご覧ください。
『風ノ旅ビト』というゲームがあります。
荒涼とした砂の世界を、外套をまとった旅ビトになって歩いていく。それだけのゲームです。敵はいません。武器もありません。テキストによる説明もほとんどなく、チャットもボイスも使えない。相手の名前すら表示されません。分かるのは、遠くに同じ姿の誰かがいる、ということだけです。
それでも、なんとなく一緒に歩いてしまう。
砂丘を滑り降りるところを見せ合ったり、置いていかれそうになって鳴き声を上げたり、光る場所を教え合ったりしながら、目的地に向かっていく。名前も国も年齢も分からないまま、しばらく並んで歩いて、別れる。
とてつもなく美しいゲームです。全てのシーンが上質のアートだと感じますし、音楽も素晴らしい。短いゲームなので慣れた人なら数時間でクリアしてしまうでしょう。その一本の映画のようなサイズも含めて、驚異的なクオリティだと思います。
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このゲームでは、道中でもう一人の旅ビトに出会うことがあります。
誰なのかは分かりません。名前も表示されない。言葉も交わせない。それでも、なんとなく一緒に歩きはじめる。相手を待ったり、先に進んで振り返ったりしながら、いつの間にか見知らぬ誰かとの旅になっている。
この見知らぬ人と歩んでいると、あたたかい関係が自然と生まれる感覚をもちます。
「言葉が通じないぶん、人は優しくなれるのかもしれない」と読み取りたくなります。
けれど、開発の途中では、まったく違うことが起きていたようです。
制作したthatgamecompanyのクリエイター二名が来日し、京都精華大学で講演した記録が公開されています。以下は、そこで語られていた話です。
出典:感情を伝える形と音〜『Sky 星を紡ぐ子どもたち』を手がけたthatgamecompanyのクリエイターが学生に伝えたかったこと(CGWORLD.jp)
開発当時、旅ビト同士には当たり判定があったそうです。互いに押したり、引いたりできる。崖の途中にあるアイテムを、二人で協力して取ってほしかったからだといいます。押し上げてもらう。引き上げてもらう。設計としては、まっとうな発想だと思います。
テストプレイで起きたのは、その逆でした。
相手をトラップに追いやる。崖から突き落とす。そうやって殺してしまう事例が、多発したそうです。
武器のない世界で、合理的であれば人は他人を崖から突き落とす。
こういう出来事を見ると、つい人の側に理由を探したくなります。
匿名だから。ゲームだから。そういうことをする人が一定数いるから。どれも、そう外れてはいないと思います。
ただ、原因を人の内面に置くと、打ち手のほうも「人を変える」方向に寄っていきます。警告を出す。通報させる。ペナルティを課す。あるいは、この世界ではこう振る舞ってほしいと説明する。相手が変わってくれるのを待つ仕事になります。
リードオーディオデザイナーの水谷立氏は、この件についてこう述べています。
ここでもプレイヤーを責めることはできない
理由も添えられていました。見知らぬ三次元の世界に降り立ったばかりのプレイヤーは、赤ん坊のようなものだ、と。その世界で何ができるのか、何をすると何が起きるのかを、一つずつ試しながら学んでいる最中にすぎない。行動の規範も、倫理も、その世界で覚えていくものだ、という見方です。
これは、ウェットな人の弁護というより、もっとドライな設計の話に読めます。
押せる世界をつくれば、人は押すことを覚える。押した先に崖があれば、落ちることも覚える。プレイヤーは、与えられた世界で何が可能かを確かめていただけで、その世界には「押せる」が入っていた。
同じ判断は、別の場面でも下されているようです。このゲームには、高く飛べるようになるアイテムがありました。二人が居合わせて片方しか取れなかったとき、取れなかった側に不満が残る。そこで、使うと相手の足元に同じものが落ちる仕様にしたところ、今度は先に手に入れた側に「タダ乗りされた」という感情が生まれたといいます。ここでも、責められるべきはその感情ではなく、そういう感情を生んでしまった設計のほうだ、と語られています。
当たり判定は、消されました。押せない。引けない。突き落とせない。
そのうえで、旅ビト同士が重なり合うと、飛ぶために必要なエネルギーが回復するようにしたそうです。近づくと、得をする。
アイテムのほうも、最終的にはステージのいたるところに配置され、使っても無くならないようになったとのことです。取り合う理由そのものが、世界から消えています。
そのほかにも、この世界はかなり執拗に調整されていたことが語られています。敵や武器を減らし、報酬を魅力の乏しいものにして、プレイヤーの関心が他者のほうへ向くようにする。荒涼とした心細い風景を置き、他者と出会う頻度まで下げて、誰かを見つけたときの安心感を大きくする。名前を表示しないのも、名前が持ち込んでしまうものを避けるためだといいます。
つながりたいという気持ちが自然に湧く世界とは、どういう世界か。そこから逆算して、一つずつ置かれていたようです。
こうして、他人の意味が変わりました。
先に取っていく相手でも、突き落としてくる相手でもなく、近くにいてほしい相手になった。
ここで起きたことは、プレイヤーが良い人になった、ということではないのだと思います。押してみたくなる好奇心も、先に取りたくなる気持ちも、たぶんそのまま残っています。ただ、その好奇心が向かう先に、崖から落とすという選択肢がなくなった。近づくという選択肢のほうに、小さな見返りがついた。
人の内面ではなく、ルール側を変えて、行動が変わった。
『風ノ旅ビト』の開発者たちは、プレイヤーに「仲良くしてください」とお願いしたわけではありません。
押せなくした。奪い合わなくてよくした。近づけば、お互いが少し助かるようにした。
そうやって世界のルールを変えた結果として、知らない誰かと黙って一緒に歩くという、あの不思議な体験が生まれています。あれは、プレイヤーが持ち込んだ優しさではなく、この世界で自然にできてしまうふるまいのほうだったのだと思います。
何をすると自然なのか。誰を味方だと感じるのか。どう振る舞うのが、この世界では心地よいのか。世界がどういうルールになっているかで、その世界でのふるまい方が変わっていく。
純粋なゲームのファンとして読み始めた記事でしたが、示唆が多いインタビューだったと思っています。
若手が育つ場がなくなっている、という話をよく聞くようになりました。以前なら新人が担っていた調査、議事録、資料づくり、簡単な分析。そうした仕事をAIが引き受けるようになり、経験を積む入口がなくなっている。
そして、現場で育つ機会が減ると、次に出てくるのが研修です。
実務で経験できないのであれば、別に学ぶ場をつくる。ケーススタディを用意し、模擬プロジェクトを経験させ、体系的に知識を教える。
筋は通っています。
それでも私は、正直この方向に少し違和感があります。
研修が不要なのではありません。ただ、仕事の中から学ぶ場所が失われた問題を、仕事の外に学ぶ場所をつくることで解こうとしているように見えるのです。
AIによって調査や資料作成が速くなること自体は、歓迎すべき変化です。
ただそれによって、熟練者が一人でAIを使って調べ、考え、資料まで仕上げるようになる。その横に若手はいません。「これを調べて」「まとめてみて」と頼まないので、なぜ調べるのか説明する必要もない。戻ってきたものを見て「そこではない」と返すことも、その理由を話すこともない。
AIは作業を自動化すると同時に、本物の仕事の周辺に参加する入口まで削る。だからといって、昔の作業を教育のために残し続けるのも難しい。AIなら30分でできることを、経験になるからと半日かけて人にやってもらう。意味はあっても、仕事を進める合理性とは逆方向です。
人は結局、最短距離を走ります。昔の仕事を保存して、昔の育ち方を再現する。その地形には、もう戻れないのだと思います。
ただし、ここで話は終わりません。
AIによって、熟練者が一人で扱える作業量は一気に増えました。調べる。整理する。文章を書く。コードを書く。資料をつくる。
では、いずれ一人で全部できるようになるのか。
私は、そうはならないと思っています。
自分で仕事をとり、デリバリをしていて思いますが、一つひとつの作業が速くなっても、自分が責任を持って見続けられるテーマの数には上限があります。五つは持てても、五十は持てない。
どこかで、シニア側にも仕事が溢れます。
ここには、まだ人に仕事を渡す合理性が残っています。
以前なら、仕事が増えると作業を渡そうとすることが多かったのではないでしょうか。
「この競合を調べて」
「この資料をつくって」
「このインタビューを整理して」
今は、その部分はAIでかなり処理できます。
それでも抱えきれなくなったとき、最後に余るのは、「この問題そのものを、誰かに持ってほしい」という部分になっていくのではないかと思います。
「この5人のインタビューを整理して」ではなく、「なぜこの人たちはサービスを離れたのか、あなたなりに結論を出して、何を変えるべきか提案しきってほしい」と渡す。
調査や分析や資料づくりにAIをどう使うかは、本人に任せればいい。でも、何を重要と考えるか、どこまで確かめるか、最終的に何を提案するかまで預けきる。
AIによって、人に渡す合理性が残る単位が、作業から責任へ上がっていくのではないかと思います。
ここに、若手が育つ新しい場所をつくれないか。
若手のために架空の仕事を用意するのではありません。シニアが本当に持ちきれなくなっている仕事の中から、小さくても一つの責任として閉じられるものを渡す。
教育設計には「whole task learning」という考え方があります。複雑な仕事を学ぶとき、細かな技能を一つずつ練習するだけではなく、小さくても始まりから終わりまである、一まとまりの仕事を経験する。
料理なら、玉ねぎだけを切るのではなく、簡単な朝食を一食つくる。仕事なら、競合の比較表を作るのではなく、ある問いについて自分なりの結論まで出す。
AIが部分作業を補助してくれるなら、以前より早い段階から、こうした小さな仕事を一周できるかもしれません。
AIを使って調べる。必要なら人に聞く。考える。試す。結果を見る。もう一度考える。
そこには研修とは違うものがあります。
自分の判断によって、実際の仕事が少し前に進む/あるいは進まないという現実があり、いかなる結果になろうとも誰かが心からその結果を待っている。
未熟さが残っていてもアウトプットがゼロにはならない環境ができた今、小さな実戦の場は、むしろ以前よりつくりやすくなっている感覚もあります
この、小さい実戦。研修ではなくあくまで実戦であることが私には大事に思えます。
若手を育てるためだけに仕事をつくると、どこかで無理が出ます。でも、シニアには責任を持てる量の上限がある。だから、本当に誰かに持ってもらう必要がある。
若手は、その小さな責任を引き受ける。その結果として、経験が積み上がる。
これは、「OJT」という名のもとに実戦環境に早い段階から入ってもらっていた、昔の育成と似ています。
その時代にただ戻るというより、あの時代に体力で最後は何とかしていた部分はAIの支援が受けられる、その前提で実戦を重ねる。
仕事が最短で進む合理性と、人が育つことが重なる場所を今も探すのが大事なのだと私は思っています。
研修はこれからも必要です。ただ、仕事から学ぶ場所がなくなるたびに、その分を研修で埋めていけば、仕事をする場所と、人が育つ場所は、だんだん別のものになっていきます。
今の時代であっても、シニアが持てる責任の量には限界がある。
だから、小さな本物の責任が、人から人へ流れていく道をつくれないか。
学ぶ場所を仕事の外につくる前に、仕事そのものを、もう一度人が育つ場所にできないか。
もちろん難しさはあります。簡単に責任は渡せない。怖い。負荷が上がれば疲弊してしまわないかと心配にもなります。
ですが、試してみたいのは、そちらだと思っているのです。
最近、お金の扱い方について人と話していて、確かにと思ったことがあります。
「メインバンクって別にメインじゃなくないですか」。
給与振り込み口座にはなっていても、日々の支払いに使うサービスは違う。ATMもほとんど使わない。
投資をしている口座もまた別の金融機関になっている。
「メインバンク」という言葉のほうが、実際のお金の扱い方に合わなくなっている。
—
考えてみれば、私自身のお金の扱い方も、十年前とはかなり違っています。
では、いつ変えたのか。
「これからは新しい金融生活にしよう」と決心した、はっきりとした転換点などなかったと思います。
気づいたら、少しずつ変わっていたのです。
以前、とくに現金を中心に生活していたころは、一つ銀行を決めると、生活のかなりの部分がそこにつながっていたように思います。
給与が振り込まれる。公共料金が引き落とされる。現金が必要になればATMへ行く。貯金もそこに置いておく。
銀行をその都度選ぶというより、一度決めれば、その後はあまり意識しないインフラという感覚だったと言うほうが近いのかもしれません。
そこへ、いろいろなものが少しずつ加わってきました。
ポイントを貯めるための自分なりの工夫。友達との割り勘を送金することが増えたことへの対処。証券口座にお金を移すことが増えればそのやりやすさを意識しだす。家計の状態を見える化したくなれば特定のクレジットカードに寄せる。
一つひとつは、それほど大げさな変化ではありません。
こちらのほうが少し早い。
こちらなら財布を出さなくていい。
こちらを使うとポイントが貯まる。
こちらなら残高を簡単に確認できる。
そんな小さな快適さが積み重なっていきます。
そしてあるとき振り返ると、以前とは違う環境のなかで暮らしている。
生活の地形は、そんなふうに変わるのだと思います。
「キャッシュレス化」という言葉を聞くと、現金からデジタルへの大きな転換を想像します。
けれど、生活者の側で起きていることは、もう少し地味です。
ある店ではスマートフォンで払う。
電車もスマートフォンで乗る。
ネットで買ったものは、その場で決済が終わる。
友人との精算も、わざわざ小銭を用意しなくてよくなる。
そういう場面が一つずつ増えていく。
すると、現金を使うことが禁止されたわけでも、嫌いになったわけでもないのに、現金を取り出す場面そのものが減っていきます。
財布からお札を出し、お釣りを受け取り、あとでATMに行く。
以前は何でもなかった行動が、周囲の地形が変わることで、少しずつ「遠回り」に見えてくるのです。
人が変わったというより、歩きやすい道のほうが変わった。
私は、こちらの見方のほうが実際の変化に近いように感じます。
—
そう考えると、「経済圏をめぐる競争」も、少し違って見えてきます。
ポイントが何%つくか。どのサービスとどのサービスが連携するか。銀行、決済、買い物、投資、通信をどこまで一つにつなげられるか。
企業側から見れば、もちろん顧客を自社の経済圏に引き込むための競争です。
「囲い込み」という言葉は、ビジネスシーンでも頻出します。
けれど生活者から見れば、起きていることはもう少し単純で、一つの行動をすると、次の行動が楽になるという積み重ねに過ぎないのではないかとも思います。
ベストな解かどうかは別として、少なくとも自分なりには考えることが減る、何となく合理的に思う。そうした工夫を少しずつ重ねて、道と道をつなげている。いつしか自分が選んだ環境のなかを歩くことが自然になり、以前のやり方に戻る理由のほうがなくなっていく。
—
経済圏とは、お得なサービスをたくさん束ねたものというより、日常の行動が滑らかにつながっている地形と考えたほうがいいのかもしれません。
もっとも、便利なサービスをつくれば、翌日から全員がそちらへ移るわけではありません。
生活には、すでに長く使ってきた道があります。
給与振込の設定を変えるのは面倒です。昔から使っている口座には安心感もある。家族とのお金のやりとりもある。引き落とし先を全部変更するとなれば、それなりの手間がかかります。
新しい地形は、古い地形の上につくられます。
だから変化には時間がかかります。
いきなり古い道を壊すのではなく、その横に少し歩きやすい道ができる。
一度歩いてみる。
思ったより快適なので、また使う。
その道から別の道にもつながる。
いつの間にか、そちらを歩く回数のほうが増えている。
社会の大きな変化も、実際にはこうした小さな選択の蓄積なのだと思っています。
未来を予測しようとすると、私たちはつい大きなもの、非連続な変化の芽に注目したくなります。
それはそれでもちろん大切ですが、もう少し生活の中で見れる変化、以前なら普通にやっていたのに、最近は面倒に感じ始めている行動や、何かを決意したわけでもないのにいつの間にかやらなくなったことから見えることもある気がします。
数年前、あるシステム導入のプロジェクトで「ここは御社で決めてください」と伝えたら、相手が少し困った顔をしました。事業の大きな決めごとが、いつのまにか仕様として決まっていく——その現実にふれた、個人的な振り返りです。
UXという言葉は、ずいぶん広まりました。
言葉そのものは一般化し、日常的に目にする普通の言葉として扱われるようになったと思います。
ただ、実務の「普通」はあまり変わっていないように見えます。リサーチにコストはかけず、発注者の要望を聞いて、要件を定義して、ものをつくりはじめる。それが「効率的」という空気は実際のところまだ根強い感覚があります。
—
私は2002年からUX専業のコンサルティング会社で仕事を学び、経験を重ねてきました。濃い職人気質の文化で、ユーザ側から世界を見るという仕事以外は原則として受けないような、クライアント企業からすれば使い勝手が良いとは言えない面倒くささのある会社に20年以上いました。
そんな場にいたので、まずは調査をし、ユーザ視点の仮説を組み上げては壊し、また組み上げなおすという仕事の仕方が標準だと思っていました。
外に出てみれば、それは世の中の当たり前ではなかった。
狭い中で仕事をしてきたと思う反面、「べき論」を曲げずに仕事をしてきた矜持を同時に感じる奇妙な感覚をもちますが、ともかく言いたいのは設計前のリサーチをはじめ、現実とのフィットを確かめる工程は、多くの場合やむを得ず削られる現実があるということです。
—
もちろん、あらゆる現場で、UXに配慮する気持ちがないということではありません。
むしろそんな視点は当たり前に持っているのです。
ただ、予算とスケジュール、あるいはほかのもっと優先すべきものがある。
だから、UXに配慮はしたいのだけど、「多少の心配り」をする程度で終わる。
「もっと調査をしなきゃいけないね」と誰もが言いますし、そんなことはわかっているのだけど、やれない。やってみないと結果が見えない調査プロセスに時間やコストをかける判断は、簡単ではありません。
それが現状だと思います。
—
こうして作られたサービスは、「たまたま」リリース後に評価を受けることもあるかもしれませんが、かなり運任せになります。
偶然役立つものができる可能性はゼロではないでしょう。
ただ、世の中に必要なものは何かを考え、試しては壊し、練り込んでつくったものと、成功の確率が同じだとは思えません。
—
投げかけてみたいのは、この数年でつくるプロセスが劇的に軽くなり、時間もコストも浮きましたが、それをどう使うのかということです。
革命的なほどものづくりが軽くなったいま、我々は「もっとやみくもにつくる」のか。
それは違うだろうと思います。
回数が増えても、外れた理由を見ていなければ、次の勝率は上がりません。
空いた工数の行き先は、もっとつくることだけではありません。
何をつくるべきかを確かめることに使えます。
—
有名なクリステンセンの『ジョブ理論』の原題は、Competing Against Luckです。
運任せに事業を立ち上げず、どこに放置されているペインがあるか捉え、それが自然と軽減される仕組みをつくることが、成功確度を上げるというメッセージが10年ほど前に提示されているのです。
長いあいだ、この考えは正しいけれど重い、と受け取られてきたのだと思います。現実を見る工程は、どうしてもコストとして計上されてしまう。
でも、ものをつくるコストが下がりました。現実を見る工程に回せる余力が、以前より確かにあります。
運任せにしない仕事の仕方が実践できる時代になったのだと思っています。