この20年で、UXという言葉が引き受ける範囲が、ずいぶん広くなりました。
私がこの仕事を始めた2000年代初頭、UXの仕事の中心は画面の使いやすさでした。ヤコブ・ニールセンの提示する原則に沿い、磨き上げる。それだけでも資料請求の件数が大きく伸びるような時代です。
そこから、徐々にデジタルが日々の暮らしに溶け込んでいきました。
サービスを新たに作る、事業を再定義するというサイズの取り組みも増えました。
そうなると、利用者だけを見ていては不十分なケースも出てきます。利用者と事業者の双方に利益が立つ関係をどうつくるか、そのためにどんな仕組みをつくるべきかという問いに対峙するようになっていきました。
最近ではAIが人とサービスの間に入るようになり、「AIにとって扱いやすい仕組みか」という視点まで出てきています。
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それでも、私のやっていることは、あまり変わっていません。
結局のところ人の体験をつくるのはいわゆる「タッチポイント」と呼ばれる個々の接点です。
それをつくって、人に触ってもらい、直す。飽きるほど繰り返す。対象が画面から仕組みに広がっても、このアプローチは変わっていません。
打率は、10割にならない
断言しますが、どれだけ経験を積んでも、打率が10割になることはありません。外し方が変わるだけで、外さなくなるわけではないのです。
理由ははっきりしていて、つくった人と使う人では、見えているものが必ず違うからです。作り手の視点と、使う側の視点はどうやってもズレます。このズレは、努力や才能で埋まる種類のものではありません。つくった時点で、もう埋められないのです。
だとすれば、外れないようにすることを目指すより――外れたときに戻れるように、仕事の仕方のほうをつくっておく。かなり初期から、その発想は持っていたように思います。
いないものとして、触ってもらう
私が教わり、ずっと続けてきたのは、単純な方法です。
はじめて使う人を連れてきて、「私はここにいないものとして扱ってください」と伝え、好きに使ってもらう。あとは横から覗き込む。
すると、こちらが当然わかるはずだと思っていた言葉が、通じていない。いちばん大事にしていたところを、読み飛ばして先に進んでいく。まったく違う意味に受け取って、しかも本人はまったく迷っていない。そんなことが、経験を積んだ設計者がつくったものからも、ぽろぽろと出てきます。
その場では、もちろんショックもあります。よいと信じて用意してきたものが、思っていたようには受け取られていないのですから、当然です。けれど、そこで見えたズレは持ち帰って直せます。直して、また別の誰かに触ってもらう。その繰り返しで、少しずつ、意味のあるものになっていきます。
世の中には、一発で正解にかなり近いところまで行ける天才もいるのでしょう。
そうではない普通の人は、汗をかき、回転数をあげる。外して、戻って、また出す。そうやれば、天才でなくても意味あるものづくりに確実に近づける。それは今も確信があります。
プロトタイピングは知的に面白い
つくって、触ってもらって、直す。この繰り返しは、我慢や真面目さの話として語られがちです。手間のかかる、地道な工程として。
でもこのプロセスは、知的に楽しいものでもあるのです。
かならず読み違えがある。その読み違えたところには、自分が「知らないことも知らなかった」が落ちています。それを拾って、もう一度出す。終わりのないプロセスではありますが、何度でも潜っては、磨くところを探して、変えていく。
そんな面白みを味わいながら、クライアントの皆様、また一緒に働くメンバーとプロジェクトをこれまで重ねてきました。
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こうしたUXデザインの経験を、本にしてみました。『選ばれるUX――「日常に溶け込む」体験のつくり方』というタイトルで発売されます。
英治出版のサイトで「はじめに」が公開されました。
あわせて、藤井保文さんに寄せていただいた「本書に寄せて」も公開されています。
よろしければご覧ください。


