最近、いくつか小さなアプリを作っています。
思いついてから数時間で、とりあえず動くものができる。
このスピード感は、やはりこれまでとは違います。
つくること自体は、かなり自由になっている。
やってみたいと思ったことを、そのまま形にできる。
ただ、その一方で、個人的にはとても印象深い体験もありました。
作ったものを家族に触ってもらったところ(いわゆるユーザビリティテストのようなものです)、ほとんど何も操作できませんでした。
「どこを触ればいいのか分からない。」
「何ができるのか分からない。」
そんな反応です。
私は、2002年からUXを生業にしてきて、複数の案件をもち、調査も毎月ほぼ確実に見続けています。
この背景があっても、それがおきるのです。
仕事でも遊びでも、作ったものが受け入れられないときには少なからずショックはあります。
ただ今回、明確に理解したのは
「機能が簡単すぎる環境では、プロダクトは機能過多に陥りやすい」
というシンプルな事実です。
これは当たり前の話のようでいて、改めて体験すると、かなり重い事実です。
ふと思いついたことを、そのまま追加できてしまう。精査して依頼して、というプロセスを経ずに形になってしまう。
その結果として、必要かどうかを十分に考えないまま、要素が増えていく。
これは、これまでとは少し違う種類の失敗なのかもしれません。
作ることに制約があった時代には、自然と「何を削るか」を考える必要がありました。
エンジニアに稼働してもらう前には、軽くない判断がありました。
しかしいまは、制約がない。その分だけ、足しすぎてしまう。
結果として、「何をすればいいのか分からない」状態を生み出している。
ものづくりの自由度が上がっても、「それが使えるか」という難しさは、そのまま残る。
むしろ、自由になった分だけ、ズレは起きやすくなるのかもしれません。
そう考えると、つくることが自由になったいま、むしろ重要になるのは、実際に使っている人を観察し、削ぎ落すプロセスになるのかもしれません。
作り手の頭の中で考えることと、実際の使われ方のあいだには、必ず差がある。
その差を埋めるには、やはり現実を見るしかない。
この点については、これまでのUXの基本と変わっていないように感じます。
ただ、改善のスピードもあがる。
おかしいとおもったことが、すぐに更新して提示できる。
「最初のアウトプットが早い」こと以上に、「練りこみの回数が飛躍的に増える」。
そこが、いま時代の面白さの正体ではと思っています。


