数か月前、立ち寄った楽器店で売ってたオタマトーンが可愛くて買ったのですが、なかなか上手にならず結局放置していました。
この数日、Claud Codeで遊んでいるなかでオタマトーンのことを思い出し、練習ツールができるかもしれない、どうせやるなら好きな曲がいい、じゃあMother2のEight Melodiesだ、と方針を決めそのまま勢いでアプリを作ってみました。
誰に頼まれたわけでもなく、誰かに使ってもらう前提もありません。
ただ、自分が使いたいから作る。
それだけです。
欲しいツールを自分で作れる時代になったことを心から喜んでいますが、これはものづくりの根本的な変化でもあると感じています。
一人の「とても欲しい」さえあれば、ものを作っていい時代になっている。
みんなの「そこそこ欲しいかもしれない」を満たすものよりも、むしろ魅力的なものが生まれやすい環境ができつつある。
もちろん、ビジネスシーンでは数値的なインパクトは重要です。
社会に残るペインを探り、その「困っている」状況がどれくらいの頻度で発生するのかを見定め、事業への貢献度を推定するーーこうした視点はこれからも必要であり続けると思います。
ただ、そうした前提を、少し乱暴に言えば弾き飛ばしてしまうような力が立ち上がりつつある感覚があります。
以前、漫画文化についてブログを書きました。(過去投稿)
上手い作品だけでなく、粗いものや未完成なものも含めて、広く受け入れる「懐の深さ」があるからこそ、文化が豊かに育つ。
いま起きている変化は、それに少し似ているのかもしれません。
これまでは、丁寧に企画し、予算をとり、リサーチして方針を練り上げ、確信をもってから作りこむ、でした。
ただ、思いついてから数時間で動くものができるとなると、出発点そのものが変わってきます。
ガラクタになっていい、「いいから作ってみよう」が合理的になる。
もちろん、あらゆる場面で「いいから作ってみよう」となるか、というとそうではないと思います。
以前、ビルドファーストというキーワードがむやみに称賛される流れについて気持ち悪さを書いたことがあります。(過去投稿)
ただ、今回作ったような小さなツールに関して言えば、確かにリサーチをしてFigmaを練り上げる時間がもったいない、というのも事実に思います。
思いつく。
粗く作る。
少し整える。
また思いつく。
少し広げる。
また作る。
デザインしてからビルドする、というよりも、作りながら考え、考えながら整えていく。
このとき、デザインとビルドという区切りはもはやありません。
少し乱暴に言えば、そんなことはもう論点ではない。そんな感覚すらあります。
では、今後何が論点になるのか。
現時点の感触でしかありませんが、やはり「誰のために」「どう役立つか」を捉える想像力になるのかなと思っています。
少なくとも、誰か一人にとって、どんな場面で使われるのかが具体的に浮かぶこと。
一人でいい。でも、その一人にとっては、なぜ役立つのかがクリアになっている。
多くの人にとっては「どうでもいい」が、一人にとってはどうでもよくない。
それを突き詰める力、確信をもつところまで煮詰める力が今後の競争力になるのではと今は思っています。


