最近、GPTにコードを書いてもらいながら、簡単なウェブアプリをつくってみています。
まずつくってみたもののひとつが、フリー画像サイトを横断して検索できるシンプルなツールです。
https://free-image-search.vercel.app
といっても、遊んでみたことのある人ならわかるとおり、やりたいことだけGPTに入力し、吐き出してもらったコードをコピーペーストしているだけ、ではあるのです。
それでも、ひとまず動くものはできてしまう。
この体験をしてみて、改めて感じたことがあります。
「つくること」の重さが変わっている
乱暴に書くなら、これまでのものづくりはざっくりとこんなステップだったと思います。
・何を作るかを考える
・プロトタイプをつくる
・実装する
企業のアプリ開発のようなプロジェクトの予算配分で見ると、これらはおおよそ
1:2:7
くらいに寄ることが多かった印象があります。
実装に最も多くの予算が割かれ、プロトタイプや設計がそれに続き、「何を作るか」は小さな枠にとどまる。
なぜ前段に予算を割きにくかったのか
ただ、この配分は、本来の価値の大きさをそのまま表していたわけではありません。
むしろ多くの場合、最終的な成果へのインパクトは、前段のほうが大きいことが多い。
それでも、そこに十分な予算を割くことは難しかった。
実装であれば、機能ができた、画面ができたと、目に見える形で示すことができます。
一方で、リサーチやコンセプト出しは、「何が生まれたのか」を説明しづらい。特に取り組みの手前で、予算を取る段階では質についての説明は難度が高い。
その結果として、本来は大きな影響を持つはずの前段に、十分な投資ができない構造が生まれていました。
つまり、見かけの配分としては
1:2:7
であっても、実際には価値の重心と、予算の配分がずれていたという方が近いと私は思います。
プロトタイプと実装が溶け始めている
もうひとつ、今回強く感じた変化があります。
それは、プロトタイプと実装の境界が、かなり曖昧になってきていることです。
これまでは、
・まずプロトタイプをつくる
・検証してから実装する
という段階的な進め方が前提でした。
しかし今は、
とりあえず動くものをつくる
↓
触りながら考える
↓
そのまま改善していく
という流れが、かなり自然に成立してしまう。
それが許されるコスト構造になる。
最初に「こういう方向でいきましょうかね」という軽い合意はあるものの、そこを丁寧に詰め切る前に形にしてしまい、つくったものを見ながら調整していくほうが合理的に感じる。
プロトタイプと本番実装が、きれいに分かれた工程として存在するのではなく、溶け合ったものとして扱われ始めているように感じます。
重心が前にずれていく気配
この変化を踏まえると、予算や時間の配分も少し変わってくるはずです。
まだ実際のプロジェクトの予算配分が大きく変わっているわけではありません。
現場では引き続き、実装に多くの予算が割かれる構造が主流です。
それでも、感覚としては少し違う方向が見えてきます。
仮にこれからバランスが変わるとしたら、
・何を作るか:7
・プロト:1
・実装:2
くらいに近づいていくのではないか、そんな印象です。
ただしここで言う「プロト」は、独立した工程としての意味をあまり持たなくなっている気もしています。実際には、つくりながら考え、考えながらつくる。
そういう意味では、こうした予算配分という考えそのものがなくなる可能性も感じています。
「つくれる」ことは前提になる
今回のアプリもそうですが、
・APIをつなぐ
・UIを整える
・デプロイする
といった工程は、やり方さえわかれば進められてしまう。
もちろん細部の品質や最適化には差が出ますが、「動くものをつくる」ためのハードルは、確実に下がっています。
つまり、「つくれるかどうか」は、意思決定の中心ではなくなりつつある。
残るのは「何をつくるか」
では、そのとき何が残るのか。
やはり「何をつくるか」です。
ただしこれは、機能の話ではありません。
・どんな場面で使われるのか
・どんな行動が自然に生まれるのか
・それは日々の中で続くのか
そうした、少し手前の問いです。
つくったアプリを眺めながらも、ふと立ち止まります。
これは、誰のどんな時間を変えているのだろうか。
設計の責任が前に出てくる
つくることが難しかった時代は、「つくること」自体が大きな価値でした。
だからこそ、そこに多くの予算が割かれていた。
しかし今は、つくるためのコストが下がっている。
さらに、プロトタイプと実装の境界も曖昧になりつつある。
そうなると、より強く問いが前に出てきます。
これは、何のためのものなのか。
どんな行動を生むのか。
どんな日々につながるのか。
設計の責任が、これまで以上に前に出てきているように感じます。
変化は、ゆっくり起きる
とはいえ、この変化は一気には進まないとも思います。
組織の評価軸や、投資判断の仕方はすぐには変わりません。
「つくること」のコストが下がっても、「何をつくるか」に予算を割く文化は、そう簡単には育たない。
だから体感としては、一見して変化が起きているように見えないだろうと想像します。
ただ、水面下では確実に前提が崩れ始めている。
つくる力が解放された先に
つくる力が広く解放されたとき、世界は少し変わります。
誰もが試せる。
誰もが形にできる。
その分だけ、「何に投資するのか」という問いから、逃げにくくなる。
そしておそらく、つくる前に決めることよりも、つくりながら決めていくことの比重が増えていく。
これは、少し大変で、でも面白い状態でもあります。
そんな感覚を持ちながら、もう少しだけ、手を動かしてみようと思います。


