より良くしようとして始めた取り組みが、どこかでおかしくなっていくことがあります。
最初は、純粋な意図から始まります。
状態を把握するために、指標を定める。
改善を進めるために、数字を追いかける。
どれも合理的で、必要なことです。
しかししばらくすると、奇妙な変化が起きます。
その指標を良くすること自体が目的になり、
本来良くしたかったものが、置き去りになる。
指標は、行動を変える
指標が定められると、人はそれに反応します。
評価されるものに合わせて行動する。
成果として認められるものに力を注ぐ。
これは自然なことです。
むしろ、そうでなければ仕組みは機能しません。
しかしこの時点で、すでに一つの変化が起きています。
人は、
「何を良くするか」ではなく、
「何が評価されるか」を見始める。
指標は、問題に変わる
さらに時間が経つと、もう一段階進みます。
人は、指標の構造を理解し始めます。
どの行動がスコアに効くのか。
どこを押さえれば数字が上がるのか。
そして、こう考えるようになります。
「どうすれば最小のコストで、この指標を改善できるか」
ここで指標は、性質を変えます。
状態を把握するためのものではなく、
解くべき問題として扱われるようになるのです。
ハックは、誠実な適応である
この状態は、しばしば「ハック」と呼ばれます。
例えば、
- 高いスコアをつけてもらえる相手を選ぶ
- 評価を上げるための言い方を工夫する
こうした行動は、どこか不自然にも見えます。
しかし視点を変えると、これは仕組みに対する極めて合理的な反応です。
評価されるものを理解し、最も効率よく達成する方法を選ぶ。
そこにはむしろ、まじめさすらあります。
学びもまた、同じ構造にある
この構造は、教育の中にも見られます。
学びのための仕組みの中で、評価として「単位」や「卒業」が定義されると、人は次第にこう考えるようになります。
「どうすれば、最小のコストで単位を取れるか」
どの授業が通りやすいか。
どの課題が効率よくこなせるか。
こうして学びは、理解を深める営みから、単位を取得するための最適化問題へと変わっていきます。
仕組みは、なぜ歪むのか
ここまでの流れを整理すると、こうなります。
- より良くするために指標が導入される
- 指標に合わせて行動が変わる
- 指標の達成が目的として強化される
- 人がその達成方法を最適化する
そして最終的に、本来の目的ではなく、指標そのものが追われるようになる。
問題は、指標そのものではない
ここで重要なのは、指標が悪いわけではない、ということです。
指標は必要です。
測らなければ、改善もできません。
しかし同時に、測れるものは、行動の最適化をもたらす。
そして最適化が進むと、それはやがて「ハック」をはじめてしまう。
人は仕組みを壊すのではない。その仕組みに、きわめて誠実に適応する。
その現実を踏まえながら、仕組みを作る。
そこに知的な面白みがあると私は思います。


