前回、Claude Skillsを使って感じた衝撃について書きました。(過去投稿)
自分の専門性の一部が、ファイルになって外に出ていく。
しかもそれは、プロダクトの価値を捉え、表層の奥にある「見えないデザイン」を読み取るところまで到達している。
この現実を、まずは受け止める必要がある。
――前回は、そこまでを書きました。
では、その現実を前に、人間には何が残るのでしょうか。
現時点の私の答えは、かなりシンプルです。
現実に触れ、そこから意味のある発見をし続けること。
レビューが外部化されていくなら、これから価値が移るのは、レビューの前にある仕事です。
まだ情報になっていないものを見つけること。
まだ誰も言葉にしていない違和感を拾うこと。
現場に出て、一次情報に触れ、そこから新しい問いを立ち上げること。
そこに、焦点が移っていくのではないかと思っています。
レビューは、すでにあるものを読む仕事
まず、レビューとは何かを考えてみます。
レビューは、基本的には「すでにあるもの」を読む仕事です。
すでに画面がある。
すでに資料がある。
すでに仮説がある。
すでにユーザーフローがある。
すでにプロトタイプがある。
それを読み、構造化し、論点を出し、不明瞭な点や煮詰めが足りない部分をあぶりだす。
フォーカスが効いていないようなら、優先順位をつける。
良いレビューが簡単だと言いたいわけではありません。
ただ、レビューには「対象がすでに存在している」という特徴があります。
AIは、すでにある情報を読む力を急速に高めています。
画面、資料、文章、仮説。
そこにレビューの観点が与えられ、Skillとして整理されていれば、AIは良さとリスクを整理し、次の一手まで出せるようになっている。
前回、私が揺さぶられたのはまさにそこでした。
「すでにあるものをレビューする仕事」は、これからかなり外部化されていく。
もちろん、人間のレビューが不要になるわけではありません。
しかし、「レビューができる」こと自体は、これまでほど強い差別化要因ではなくなっていく気がしています。
では、何が差になるのか。
私は、レビューの手前にあるものだと思います。
何をレビューすべきか。
そもそも何が問題なのか。
どの現実を見に行くべきか。
まだ誰も気づいていない問いはどこにあるのか。
AIは、与えられた情報の中で賢い
AIはとても強くなっています。
ただし、その強さには前提があります。
AIには、何かが与えられている。
資料、画面、調査ログ、議事録、レビュー対象、誰かが言葉にした仮説。
AIは、その中で考えるのが得意です。
一方で、私たちの仕事の本当に難しい部分は、そもそも何を問題として定義するのか、あります。
まだ誰も言葉にしていない違和感。本人も困っていると自覚していない摩擦。当たり前すぎて誰も説明しない習慣。「便利です」と言っているのに使い続けない理由。
こうしたものは、最初から資料になっているわけではありません。
現場に行き、人と話し、使われ方を見て、沈黙を見て、手元を見て、表情を見る。
その中から、「これは問題かもしれない」と感じ取る。
そこから初めて、情報が生まれる。
AIは、情報になったものを扱うのは得意です。
しかし、まだ情報になっていないものを情報として立ち上げる仕事は、簡単には外部化できません。
ここに、しばらくは人間の仕事が残るのだと思います。
一次情報は、材料ではない
UXやサービスデザインの仕事では、一次情報が大事だとよく言われます。
ユーザーに会いましょう。現場を見ましょう。自分で使ってみましょう。
それはもちろん正しい。
ただ、AI時代における一次情報の意味は、少し変わって見えてきました。
一次情報は、単に「正確な材料」ではありません。
もちろん、思い込みを外してくれることはあります。数字だけでは見えない背景が分かることもあります。でも、それだけではありません。
一次情報に触れることは、自分の感覚を更新することです。
現場に行くと、想定していなかったことが起きます。
ユーザは「困っている」とは言わない。
でも、同じところで何度も手が止まる。
「便利ですね」と言う。
でも、その後、使い続けない。
「特に不満はありません」と言う。
でも、実際には別のやり方で回避している。
「慣れれば大丈夫です」と言う。
でも、慣れるまでに多くの人が離脱している。
こうしたものは、表面的な発話だけを見ていると拾えません。
一次情報に触れるとは、言葉になっていない現実に触れることです。
そして、自分の中に違和感を生むことです。
「あれ、思っていたより根が深いかもしれない」
「こんな出し方だと、生活に入らないかもしれない」
「この反応は、継続にはつながらないかもしれない」
そうした感覚は、机の上では育ちにくい。
一次情報は、AIに渡す材料である前に、自分の感覚を鍛える場なのだと思います。
発見は、現実との摩擦から生まれる
発見は、頭の中だけでは生まれにくい。
もちろん、考えることは大事です。仮説を立てることも大事です。
でも、本当に意味のある発見は、現実に触れて、肌で感じるところから生まれることが多いように思います。
プロダクトを前にして当惑している。
言っていることと、やっていることが違う。
便利なはずなのに、使われない。
不便なはずなのに、なぜか残っている。
誰も問題視していないが、よく見ると想定していなかったところにブレーキがある。
こうしたズレに触れることで、問いが生まれます。
その問いは、最初からプロンプトには書けません。なぜなら、まだ自分でも気づいていないからです。
現場に触れて、違和感を覚え、考え直す。そこではじめて、「本当に問うべきこと」が見えてくる。
レビューは、すでにある問いに答える仕事に近い。
発見は、まだ問いになっていないものを問いにする仕事です。
この差は大きい。
そして、これから価値が上がるのは、後者なのだと思います。
調査ができる、だけでは足りない
ただし、「現場に行けばよい」という話でもありません。
現場に行くこと自体はできます。
インタビューをすることもできます。
観察メモを取ることもできます。
でも、現場には情報が多すぎます。
人はたくさん話します。
言葉を拾い上げようとしても、矛盾も混じりますし、本質的な摩擦も、単なる好みも、同じような顔をして現れます。
そこから、何を発見として持ち帰るのか。
これが難しい。
ユーザーが言ったことを、そのまま要件に変えるだけでは足りません。
不満リストを作るだけでも足りません。
発話をきれいに分類するだけでも足りません。
必要なのは、現場で見たものを、設計すべき課題として立ち上げる力ではないかと思います。
これは個人の好みなのか。それとも、多くの人に共通する地形なのか。
これは一時的な不便なのか。それとも、仕組みの前提がずれているサインなのか。
そこを見極める必要があります。
だから、これから強くなるのは、単に「調査ができる人」ではありません。
一次情報に触れ、そこから発見し、その発見をチームやAIが扱える問いに変えられる人だと私は思います。
AIに渡す前の仕事
AIを使うほど、AIに渡す前の仕事が重要になります。
何を見てきたのか。誰に会ってきたのか。どんな場面を観察したのか。どの発言を重要だと感じたのか。どの沈黙に引っかかったのか。どの行動のズレを、問いとして持ち帰ったのか。
ここが弱いと、AIはそれっぽく浅い答えを返します。
表面的な材料を渡せば、表面的な分析が返ってくる。
よくあるペルソナを渡せば、よくある打ち手が返ってくる。
既知の論点だけを渡せば、既知の範囲で整った答えが返ってくる。
AIは文章を整えるのが上手いので、むしろ危険に思います。
浅い材料でも、かなり説得力のある文章になってしまう。
一方で、現場で拾った違和感、本人もまだ言葉にできていない摩擦らしきもの、当たり前すぎて誰も説明していない習慣。
そういった材料をAIに渡せる人は、ものすごく強い。
「発見」をしよう
レビューする能力はAIによってかなり強化されるだけでなく、外部化されていくことは確定的だと思います。
すでにあるものを評価する。すでにある資料を整理する。すでにある画面を改善する。すでにある仮説にフィードバックする。こうした仕事は大切ですが、かなりの部分を機械に任せられるようになっていく。
一方で、まだ誰も言葉にしていない摩擦を見つける仕事、たとえば、生活者自身も気づいていない不便を拾う。誰も問題だと思っていなかったことを、設計すべき問いとして立ち上げる――こうした部分は、まだ簡単には外部化できないように思います。
それは既にある情報を処理する仕事ではなく、何を情報として扱うかを決める仕事だからです。
現実に触れ続ける人が強くなる
AIはこれからさらに強くなるでしょう。
レビューも、整理も、文章化も、かなりの部分が外部化されていくはずです。
それでも、現実に触れ続けることの価値は下がらないと思います。むしろ上がる。
なぜなら、現実に触れ続ける人だけが、新しい違和感を拾えるからです。
過去に言語化された知は、やがて古くなります。Skill化された判断も、放っておけば古くなります。
でも、一次情報に触れ続ける人は、現実の変化に合わせて知を更新できます。
その人は、AIに置き換えられるというより、AIを更新する側に回る。
ここに、希望があると思っています。


