毎日触れているものが、少しずつ自分を変えている。そんな感覚は多くの人が持っていると思います。
日々どんな接点に触れているかによって、情報の受け取り方だけでなく、考えるリズムや反応のしかた、問いの立て方、判断を寝かせる感覚のようなものまで、少しずつ身につけています。それは意識して習得するスキルというよりも、繰り返しのなかで体に染みついていく習慣に近いものだと思います。
筋トレのように、どんなフォームで、どんな動きを繰り返すかによって、自然と発達する筋肉が変わるのと似ているかもしれません。
情報を取得する接点もまた、情報の入口であるだけでなく、行動様式の訓練環境という面があるように思います。
接点ごとに育つ思考様式、行動様式
たとえば、新聞が日々の主な接点だった時代を想像してみます。
朝、決まった時間に届くものを、一定のまとまりとして受け取る。見出しをざっと眺めて、気になった記事を読み込む。そこには「編集された全体像を受け取る」という習慣や、世界の見方が育つ場であったのだろうと思います。
テレビもまた、別の筋肉を育てていたかもしれません。
番組表という枠組みの中で、流れてくるものに身を置く。自分で選ばなくても、ある種のまとまった文脈が向こうからやってくる。受動的だと言われることもありますが、そこでは「流れに乗りながら、ふと引っかかるものに気づく」という感覚が育っていた面もあります。
SNSや動画アプリが日常の接点になると、育つ行動様式や思考の様式はまた変わります。
大量の断片のなかから瞬時に選び取る力。短い時間で反応を返す力。強い言葉や鮮烈な映像に対するセンサー。スクロールしながら、ほんの一瞬で「見る・見ない」を判断し続ける習慣は、ある種の「選択する力」を鍛えています。
ここで強調しておきたいのは、どの接点が良い・悪いという話ではないということです。大事なのは、どの媒体が正しいかではありません。その接点を通じて、どんな知的な筋肉が育っているのかを見ることです。
接点は訓練環境である
接点が変わると、育つ筋肉も変わる。この事実は、考えてみれば当たり前のことです。毎日長距離を歩く人と、毎日短距離を全力で走る人では、発達する筋肉が違います。それと同じように、毎日どんな接点に触れ、どんな行動を繰り返しているかが、その人の知的な習慣を形づくっていきます。
環境は行動を形づくります。そして、行動の繰り返しは、やがてその人の考え方を形づくります。
だから、ある媒体を懐かしむのでも、新しい媒体を礼賛するのでもなく、「いま自分が日々触れている接点は、どんな筋肉を育てているのだろう」と見てみることに意味があるのではと感じています。それは自分の知的な習慣を棚卸しするような作業です。
AIという接点が加わるとき
最近、AIが日々の接点として存在感を増しています。文章を書く、企画を考える、調べものをする、誰かに説明する前に自分の考えを整理する。そうした場面で、AIとの往復が自然に入り込んでくるようになりました。
このとき大事なのは、AIをどんな場として捉えるか、ということだと思います。
ぱっと答えをもらう場として使うのか。何度でも考えを練りこめる場として使うのか。大量の情報を整理する場として使うのか。自分の違和感を言葉にする場として使うのか。
もちろん、どれか一つが正しいわけではありません。急いで答えが必要な場面もあれば、まず全体像をつかみたい場面もある。あるいは、まだ人に話すほどではない粗い考えを、いったん外に出してみたい場面もある。
ただ、日々の接点は習慣をつくります。
AIを、いつも「早く答えをもらう場」として使っていれば、そこでは素早く問いを投げ、素早く答えを受け取る筋肉が育っていくでしょう。
一方で、AIを「考えを何度でも練りこめる場」として使っていれば、別の筋肉が育つかもしれません。返ってきた答えに対して違和感を覚える。その違和感を言葉にする。問いを立て直す。もう一度返してみる。そうした往復のなかで、自分の考えの輪郭が少しずつ見えてくる。
考える途中の場
私自身、面白みを感じているのは「考えが完成していなくても言葉にする」という筋肉が育ちやすいという点です。
人に話すにはまだ粗い。けれど、自分のなかで何かが引っかかっている。
そういう段階の考えを、いったん外に出し、何度でも扱い直せる。
シャイな人、思い付きをそのまま話すことに抵抗がある人ほど、この「途中で出せる場」から受ける恩恵は大きいのかもしれません。
AIに自分の考えをぶつけてみて、返ってきたものが「なんとなく違う」と感じたとき、その違和感を掘り下げることで、自分のなかにある基準が少しずつ言葉になることがあります。それが、なんとなく暗黙知として眠っていたものを表に出していくきっかけになったりもする。
こうしたハードルの低い「途中で出せる場」が増えていくことは、中期的にかなりポジティブな影響があるように個人的には感じています。
どんな習慣を育てる場として捉えるか
接点が変わる時代にいます。それは、新しいツールが登場したという話だけではなく、私たちが日々繰り返している知的な動作そのものが、少しずつ変わっているということです。
だからこそ、AI時代に問いたいのは、「AIで何ができるようになるか」だけではないと思うのです。
AIを、どんな習慣を育てる場として捉えるのか。そこを考えることが、時間が経ったときに、自分のなかにどんな知的な筋肉が残っているかを左右するのではないでしょうか。


