前回、「デザインプロセスが消えた」というより、実際には「仮で試す」必要が薄れ、実体でまわせる領域が広がったのではないか、と書きました。(過去投稿)
試して、直して、また試す。
この反復的なプロセス自体は変わっていない。
ただ、その対象が「仮のもの」から「実際に動くもの」へ変わりつつある。
そう捉えると、いま起きている変化は、少し見通しやすくなる気がします。
ただ、この変化にはもう一つ、別の側面があります。
実体でまわせるようになったことで、私たちは以前よりも速く作れるようになりました。
思いついたものを、すぐに形にできる。
これは大きな進歩です。
しかしその一方で、少し危うさもあります。
作れるようになったことで、思った以上に早く収束してしまうのではないか、ということです。
作ることは、基本的に収束である
何かを作るという行為は、基本的には収束です。
一つの案を選ぶ。一つの画面を作る。一つの仕様に落とす。
その瞬間、他の可能性は少しずつ後ろに下がっていきます。
もちろん、作りながら変えることはできます。
作り直すこともできます。
それでも、一度動くものができると、人はそこに引っ張られます。
「せっかくここまでできたのだから」
「まずはこの方向で直してみよう」
「ここを少し調整すればよさそうだ」
そう考えるのは自然です。
動くものには、強い説得力があります。
だからこそ、作るスピードが上がると、収束のスピードも上がります。
便利さは、発散を奪うことがある
これは、少し不思議な逆説です。
作ることが難しかった時代には、作る前にいろいろ考えざるを得ませんでした。
複数の案を並べる。
別の導線を検討する。
そもそも違う切り口はないかと考える。
実装に入る前に、いったん立ち止まる時間があった。
もちろん、それが良いことばかりだったとは思いません。
会議が増え、資料が増え、なかなか前に進まないこともありました。
ただ、その時間の中には、「広げる」という仕事も含まれていました。
今は違います。
作ろうと思えば、すぐに作れる。
一つ目の案が、すぐに動く。
すると、気づかないうちに、最初に思いついた案を磨き続けてしまうことがあります。
作ることが容易になった結果、
作る前に広げる時間が、静かに削られていく。
これは、かなり気をつけるべき変化だと思います。
Diverge / Converge はまだ生きている
昔、IDEOのTim Brownが、デザイン思考の文脈で「Diverge」と「Converge」の話をしていました。

いったん広げて、そこから絞る。
可能性を拡張し、その後で選び取る。
この考え方は、いまでもかなり重要だと思います。
むしろ、作ることが簡単になった今こそ、改めて意味を持ち始めているのかもしれません。
なぜなら、自然に任せると、私たちはすぐにConvergeしてしまうからです。
一つの案を作る。
それを直す。
さらに直す。
また直す。
この反復は、一見すると前に進んでいるように見えます。
しかしそれは、同じ方向を深掘りしているだけかもしれない。
本当は、別の入り口があったかもしれない。
もっと軽い解き方があったかもしれない。
そもそも、別の問題を解くべきだったかもしれない。
そうした可能性は、意識的に広げないと見えなくなります。
Jenny Wen が Figma を使う理由
Claudeのデザインを率いるJenny Wenは、AI時代のデザインについて語る中で、Figmaはまだ使っていると言っていました。
ただし、その意味は以前とは少し違います。
彼女にとってFigmaは、最終的な画面を美しく整えるためだけの道具ではありません。
むしろ、複数の選択肢を並べて考えるための道具として使われているようです。
コードを書き始めると、どうしても一つの方向に入っていきます。
実装は線形に進みやすい。
一方で、Figmaのようなキャンバスでは、複数の案を横に並べ、行きつ戻りつしながら練りこみやすい。
A案、B案、C案。少し違う導線。まったく違う構成。細かな表現の違い。
そうしたものを一覧できる。
これは、単なるツールの話ではありません。
並べて考える場所を持てるかという話です。
もちろん、それが必ずFigmaである必要はないと思います。
紙でもホワイトボードでも、スライドでもいい。
コードで複数パターンを一気に出せるなら、それでもいい。
重要なのはツールではありません。
収束しすぎないための場を、意識的に持つことです。
作ることが速くなったからこそ、広げることは自然には起きにくくなる。
だから、Divergeはプロセスとして意識的に置いた方がよい。
これは、昔ながらのデザインプロセスを懐かしむ話ではありません。
むしろ、AIで作る時代に合わせて、発散という営みを再定義する必要がある、という新しい危機感です。
発散とは、作る前に戻ることではない
ここで少し注意したいのは、発散とは「作る前に戻ること」ではない、ということです。
昔のように、実装に入る前に延々と議論する。
あらゆる可能性を資料化する。
すべての案を合意してから作る。
そういう話ではありません。
むしろ、実体でまわせるようになった今だからこそ、発散のやり方も変わるはずです。
たとえば、違うコンセプトを短時間で試す、いったん作ったものを捨てる前提で扱うといったやり方が、以前より現実的になっています。
つまり、発散もまた、実体で行いうる。
「案を出す」のではなく、「別の可能性を小さく動かしてみる」。
これが、これからのDivergeなのかもしれません。
速く作れることに、引っ張られすぎない
AIによって、作ることは本当に楽になりました。
これは素晴らしいことです。
ただ、作れることに引っ張られすぎると、最初に思いついた方向を、ただ速く磨くだけになってしまう。
そしてそれは、必ずしも良いものにつながりません。
いいものを作るには、やはり一度広げる必要があります。
誰の、何の役に立つのか。
他に解き方はないのか。
解けるとすれば、もっとシンプルな解き方はないのか。
こうした問いは、作れるようになったからといって消えるわけではありません。
むしろ、作れるようになったからこそ、早く収束しないように扱う必要がある。
広げて、絞る。
作れる時代だからこそ、すぐに作り始める。でも、作れる時代だからこそ、意識的に広げる。
その両方を持てるかどうかが、これからのデザインの質を左右するように思います。


