誰とも話せないのに、一緒に歩いてしまう
『風ノ旅ビト』というゲームがあります。
荒涼とした砂の世界を、外套をまとった旅ビトになって歩いていく。それだけのゲームです。敵はいません。武器もありません。テキストによる説明もほとんどなく、チャットもボイスも使えない。相手の名前すら表示されません。分かるのは、遠くに同じ姿の誰かがいる、ということだけです。
それでも、なんとなく一緒に歩いてしまう。
砂丘を滑り降りるところを見せ合ったり、置いていかれそうになって鳴き声を上げたり、光る場所を教え合ったりしながら、目的地に向かっていく。名前も国も年齢も分からないまま、しばらく並んで歩いて、別れる。
とてつもなく美しいゲームです。全てのシーンが上質のアートだと感じますし、音楽も素晴らしい。短いゲームなので慣れた人なら数時間でクリアしてしまうでしょう。その一本の映画のようなサイズも含めて、驚異的なクオリティだと思います。
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このゲームでは、道中でもう一人の旅ビトに出会うことがあります。
誰なのかは分かりません。名前も表示されない。言葉も交わせない。それでも、なんとなく一緒に歩きはじめる。相手を待ったり、先に進んで振り返ったりしながら、いつの間にか見知らぬ誰かとの旅になっている。
その関係の在り方は、あとからつくられた
この見知らぬ人と歩んでいると、あたたかい関係が自然と生まれる感覚をもちます。
「言葉が通じないぶん、人は優しくなれるのかもしれない」と読み取りたくなります。
けれど、開発の途中では、まったく違うことが起きていたようです。
制作したthatgamecompanyのクリエイター二名が来日し、京都精華大学で講演した記録が公開されています。以下は、そこで語られていた話です。
出典:感情を伝える形と音〜『Sky 星を紡ぐ子どもたち』を手がけたthatgamecompanyのクリエイターが学生に伝えたかったこと(CGWORLD.jp)
開発当時、旅ビト同士には当たり判定があったそうです。互いに押したり、引いたりできる。崖の途中にあるアイテムを、二人で協力して取ってほしかったからだといいます。押し上げてもらう。引き上げてもらう。設計としては、まっとうな発想だと思います。
テストプレイで起きたのは、その逆でした。
相手をトラップに追いやる。崖から突き落とす。そうやって殺してしまう事例が、多発したそうです。
武器のない世界で、合理的であれば人は他人を崖から突き落とす。
押せる世界をつくると、人は押すことを覚える
こういう出来事を見ると、つい人の側に理由を探したくなります。
匿名だから。ゲームだから。そういうことをする人が一定数いるから。どれも、そう外れてはいないと思います。
ただ、原因を人の内面に置くと、打ち手のほうも「人を変える」方向に寄っていきます。警告を出す。通報させる。ペナルティを課す。あるいは、この世界ではこう振る舞ってほしいと説明する。相手が変わってくれるのを待つ仕事になります。
リードオーディオデザイナーの水谷立氏は、この件についてこう述べています。
ここでもプレイヤーを責めることはできない
理由も添えられていました。見知らぬ三次元の世界に降り立ったばかりのプレイヤーは、赤ん坊のようなものだ、と。その世界で何ができるのか、何をすると何が起きるのかを、一つずつ試しながら学んでいる最中にすぎない。行動の規範も、倫理も、その世界で覚えていくものだ、という見方です。
これは、ウェットな人の弁護というより、もっとドライな設計の話に読めます。
押せる世界をつくれば、人は押すことを覚える。押した先に崖があれば、落ちることも覚える。プレイヤーは、与えられた世界で何が可能かを確かめていただけで、その世界には「押せる」が入っていた。
同じ判断は、別の場面でも下されているようです。このゲームには、高く飛べるようになるアイテムがありました。二人が居合わせて片方しか取れなかったとき、取れなかった側に不満が残る。そこで、使うと相手の足元に同じものが落ちる仕様にしたところ、今度は先に手に入れた側に「タダ乗りされた」という感情が生まれたといいます。ここでも、責められるべきはその感情ではなく、そういう感情を生んでしまった設計のほうだ、と語られています。
変えたのは、人ではなく世界のルールだった
当たり判定は、消されました。押せない。引けない。突き落とせない。
そのうえで、旅ビト同士が重なり合うと、飛ぶために必要なエネルギーが回復するようにしたそうです。近づくと、得をする。
アイテムのほうも、最終的にはステージのいたるところに配置され、使っても無くならないようになったとのことです。取り合う理由そのものが、世界から消えています。
そのほかにも、この世界はかなり執拗に調整されていたことが語られています。敵や武器を減らし、報酬を魅力の乏しいものにして、プレイヤーの関心が他者のほうへ向くようにする。荒涼とした心細い風景を置き、他者と出会う頻度まで下げて、誰かを見つけたときの安心感を大きくする。名前を表示しないのも、名前が持ち込んでしまうものを避けるためだといいます。
つながりたいという気持ちが自然に湧く世界とは、どういう世界か。そこから逆算して、一つずつ置かれていたようです。
他人の意味が、変わった
こうして、他人の意味が変わりました。
先に取っていく相手でも、突き落としてくる相手でもなく、近くにいてほしい相手になった。
ここで起きたことは、プレイヤーが良い人になった、ということではないのだと思います。押してみたくなる好奇心も、先に取りたくなる気持ちも、たぶんそのまま残っています。ただ、その好奇心が向かう先に、崖から落とすという選択肢がなくなった。近づくという選択肢のほうに、小さな見返りがついた。
人の内面ではなく、ルール側を変えて、行動が変わった。
ふるまい方は、世界のルールによって変わっていく
『風ノ旅ビト』の開発者たちは、プレイヤーに「仲良くしてください」とお願いしたわけではありません。
押せなくした。奪い合わなくてよくした。近づけば、お互いが少し助かるようにした。
そうやって世界のルールを変えた結果として、知らない誰かと黙って一緒に歩くという、あの不思議な体験が生まれています。あれは、プレイヤーが持ち込んだ優しさではなく、この世界で自然にできてしまうふるまいのほうだったのだと思います。
何をすると自然なのか。誰を味方だと感じるのか。どう振る舞うのが、この世界では心地よいのか。世界がどういうルールになっているかで、その世界でのふるまい方が変わっていく。
純粋なゲームのファンとして読み始めた記事でしたが、示唆が多いインタビューだったと思っています。


