標識や信号を減らした交差点が、安全に機能することがあるーーオランダの交通エンジニア、ハンス・モンダーマンの取り組みとして知られる事例です。一見すると、ルールを減らしたように見えます。しかし実際に起きているのは、単純な自由化ではありません。
そこでは、ドライバー同士が互いの動きを見ながら、状況に応じて調整しています。
あらかじめ決められたルールに従うのではなく、その場の関係の中で判断が行われている。
つまりこれは、制御を弱めたのではなく、人の関与が不可欠になるように設計されている状態だと言えます。
この見方に立つと、モンダーマンは「ルールを減らしたのではなく、調整の主体をシステムから人へ移した」と捉えられます。
そして、その関与の中で秩序が立ち上がるようにしている。
同じ構造は、もっと身近な場所にも見られます。
たとえば砂場では、決まった遊び方はありません。それでも遊びは自然と続いていきます。ごっこ遊びにはじまり、山の高さを競い合う、山の上から水を流してランダムな変化を楽しむ。人の関わりの中で遊びが変わり、新しい行動が生まれていきます。
遊園地のように体験が設計された場と比べると、かなりコントロールを手放し、人の関与が強く組み込まれている状態を作っていると言えるでしょう。
ここで見えてくるのは、ひとつの共通点です。
どちらも、あらかじめ最適な状態を定義することで成立しているのではありません。
関与の中で調整が立ち上がるように設計されている。
この視点にたつと、私たちが扱っている多くの仕組みは、少し違って見えてきます。
仕組みは思った通りには動きません。動かないこともあれば、逆に動きすぎることもある。人もまた、適応できなかったり、過剰に適応してしまう。そして一度うまくいった仕組みも、やがてハックされ、別のかたちに変わっていく。
これらは、仕組みと人が関わる以上、避けられない振る舞いです。
それにもかかわらず、私たちはしばしば「正しく動く仕組み」をつくろうとします。
行動を定義し、ルールを整備し、できるだけブレのない状態をつくろうとする。
しかし現実は、その前提を静かに外していきます。変化は止まらず、適応も止まらない。
であれば、前提を変える必要があります。
変化や逸脱を抑え込むのではなく、それらが起きることを前提にする。
そしてその中で、なお機能し続ける状態をつくる。
ここで見えてくるのが、やわらかい設計という考え方です。
やわらかい設計とは、自由にすることではありません。放置することでもない。変化や逸脱を前提にしながら、それでも成立し続ける構造をつくることです。
その核にあるのは、行動の制御ではありません。関与の設計です。
従来の設計は、「何をするか」を決めることで状態を安定させようとします。どのように動くか、どのように使うかを定義し、それに従わせることで全体をコントロールする。しかしそのコントロールは、現実の変化の中で次第に歪んでいきます。
そこで視点を変えてみます。
何をするかを固定するのではなく、どのように関与できるかを開いておく。
人が状況を見て判断し、他者と関係しながら調整できる余地を残しておく。
そのとき、調整は外から与えられるものではなく、内側から立ち上がります。あらかじめ決められた正解によってではなく、その場の関係の中で状態が保たれていく。
UXデザイナは「ジャーニーの実現」という視点で人の行動をナビゲートしていた発想をやめる。むしろ、人の想像力や自律的な動きを促すような場づくりを狙う。
そんな転換がそろそろあってもよいのではと感じます。
やわらかさとは、このようにして生まれるのかもしれません。すべてをコントロールしきろうとするのではなく、一部を手放し、人の関与に委ねること。その関与が機能するように設計すること。
設計とは、行動を決めることではなく、関与を通じて調整が立ち上がる地形をつくることとして捉えると、変化し続ける環境の中で仕組みを考えやすくなるのではないか。
そんなことを考え始めています。


