仕事をしていると、こんなことがあります。
ちゃんと考えて仕組みを作ったはずなのに、なぜか思った通りに動かない。
ルールを整え、目標を決め、やり方も揃えた。
それでも、どこかでズレた動きが出てくる。
手を打てば打つほど、むしろ重くなっていくように感じることもあります。
うまくいかないのは「壊れているから」か
こういうとき、私たちはつい「どこかが間違っている」「ちゃんと機能していない」と考えます。
だから、修正しようとする。
ルールを増やしたり、管理を強くしたり、より細かくコントロールしようとする。
しかし、それでもうまくいかないことがあります。
むしろ、うまく動きすぎているのかもしれない
少し見方を変えると、別の捉え方もできそうです。
それは、仕組みが壊れているのではなく、うまく動きすぎているという見方です。
少しだけ言葉を変えてみます。
仕組みを「システム」として捉えると、見え方が少しはっきりしてきます。
ドネラ・メドウズによればシステムは、
- 低い状態を固定するようにも動く
- どこまでもエスカレートするようにも動く
- 短期的な解決が効けば、それに依存するようにも動く
- 目標が置かれれば、それが多少ずれていても動き続ける
といった振る舞いを見せます。
システムは、一方向に行き過ぎる
こうして見ると、これらはすべて一方向に動き続けてしまうという共通点を持っています。
つまりシステムは、「行き過ぎる」傾向を持っていると言えます。
止まるわけでもなく、正しく調整され続けるわけでもなく、ただ、そのまま進み続ける。
抜け道は、調整でもある
この視点で見ると、「ルールの抜け道」も少し違って見えてきます。
一般的には、抜け道は問題とされます。
設計の不備であり、是正すべきものだと。
しかし実際には、
- 強すぎる制約を緩める
- 過剰な負荷を回避する
- 無理のある目標に合わせる
といった形で、現場がバランスを取っていることも多い。
つまり抜け道は、行き過ぎた流れを、人がローカルに調整している現象とも言えます。
問題は「壊れること」ではない
仕組みがうまくいかないとき、問題は「壊れていること」だと思いがちです。
しかし実際には、行き過ぎているだけなのかもしれません。
- 強くしすぎている
- 抑えすぎている
- 一方向に進みすぎている
この状態でさらに手を加えると、別の方向への過剰が生まれることもあります。
設計は「止める」ことではなく「見る」こと
もし仕組みが本質的に「行き過ぎる」ものだとすれば、設計の役割も少し変わってきます。
それは、
- 完璧な状態を作ることではなく
- 流れを観察し
- 行き過ぎているところを整えていくこと
になります。
設計は一度決めて終わりではなく、むしろ運用の中で初めて意味を持つ。
仕組みは、静かに行き過ぎていく
どれだけ丁寧に作っても、仕組みは必ず変化していきます。
それは異常ではなく、むしろ自然な振る舞いです。
ただその変化は、少しずつ、行き過ぎながら進んでいく。
だからこそ必要なのは、行き過ぎない仕組みではなく、行き過ぎることを前提にした調整なのかもしれません。
設計とは、構造を作ることだけではなく、流れと向き合い続けることでもあると感じています。


