フォルクスワーゲンがかつて「Fun Theory」という取り組みを行っていました。
人の行動を、楽しく変えることはできないか。
そんな問いから生まれた実験です。
地下鉄の階段をピアノの鍵盤のようにし、踏むと音が鳴るようにした事例は有名です。
多くの人がエスカレーターではなく、階段を選びます。
https://www.youtube.com/watch?v=bRCW8W_jPIM

ゴミ箱に捨てると、まるでとても深い穴に落ちていくような音がする仕掛けもありました。
それだけで、人はゴミを捨てたくなる。
https://www.youtube.com/watch?v=cbEKAwCoCKw

どちらも、とても魅力的なアイデアです。
人の行動を「楽しいから」という理由で変えてしまう。
私もこういう試みは好きです。
ただ同時に、少しだけ引っかかる感覚もあります。
これが日常に組み込まれたとき、人は使い続けるのだろうか、と。
最初は試したくなる。
誰かに話したくなる。
けれど、その驚きは長くは続きません。
やがて仕掛けは風景になり、
あるいは、少しだけ煩わしいものになるかもしれない。
それは決して失敗ではありません。
ただそこには、「象徴的な実験」と「社会に溶け込む仕組み」との距離があります。
プロダクトデザイナーのDieter Ramsは、良いデザインの原則のひとつとして、
「良いデザインは目立たない(Good design is unobtrusive)」と述べています。
プロダクトは作品ではなく、道具である。
だからこそ、そのデザインは中立で抑制されていなければならない。
使う人の行為を邪魔せず、静かに支えるものであるべきだと。
Fun Theoryは、強く主張することで行動を変えます。
一方でRamsは、主張しないこと日々を支えます。
この違いは、小さくありません。
驚きや楽しさによって選ばせる方法もあれば、違和感のなさによって自然に選ばせる方法もあります。
どちらも可能性はあります。
ただ人は、驚きには慣れます。
しかし、違和感のなさは、そのまま習慣になります。
社会の中で長く機能するデザインは、強く働きかけるものではなく、静かに作用するものが多いように思います。
選ばせているのに、選ばせていると感じさせない。
行動を変えているのに、変えられていると感じさせない。
そうした状態は、設計されていながら、設計の痕跡を残しません。
溶け込むデザインは強い。
派手さはなくても、確実に、そして長く効き続ける。
たとえば以前紹介したモンダーマンの「標識がない交差点」のデザインは、その極地かもしれません。(過去投稿)
「良いデザインは、目立たない。」
その静けさの中に、人の行動を変え続ける力があるのだと思います。


