「Figmaのようなデザインファーストのツールで仕事をするのは、もう古い」
そんな刺激的な言葉を見かけることがあります。
完成度の高いモックを磨くより、AIコーディングで動くものを先につくるべきだ。
デザインファーストからビルドファーストへ。
たしかに、言いたいことはわかります。
動かないプロトタイプを眺め続けても、体験の本質は見えてこない。
実際に触れられるもののほうが、学びは多い。
けれど、「Figmaは古い」「ビルドが正しい」といった勢いのある議論に、どこか落ち着かない気持ちも覚えます。
ものづくりは、本当にそんな単純な二択なのでしょうか。
順番の議論で止まっていないか
デザインファーストは、完成像を描いてから作る。
ビルドファーストは、動くものを先に作る。
どちらが正しいか。
しかし、これは「順番」の議論です。
先に描くか。
先に作るか。
けれどものづくりの質を分けるのは、順番よりも前にあるものではないでしょうか。
完成図をいくら丁寧に描いても、その図が「何を変えたいのか」を持っていなければ、ただの整った絵であり、フィージビリティを考えなければ妄想になります。
逆に動くものをどんどん作っても、向かう体験の像がなければ、役に立たない部品の山、ガラクタになります。
体験の像から始める
極めて普通のことを言いますが、「更新された体験の像を結ぶこと」が起点であるべき、なのです。
それは、きれいなUIの完成図ではありません。
どんな判断をしなくてよくなるのか。どんな迷いが減るのか。どんな摩擦が消えるのか。どんなリズムで関わるようになるのか。
つまり、行動がどう更新されるのか、という変化のイメージです。
さらにいえば、その体験が事業としてどう持続するかまで含んだ像です。
継続は自然に生まれるか。信頼は蓄積するか。関係は浅く消費されず、深まっていくか。
起点にあるのは画面の設計ではなく、関係の設計です。
この話を飛ばして、ツールの勢力図を議論しても、あまり前には進みません。
レゴブロックのように作る
では、どう作るのか。
ここで私は、レゴブロックの比喩を思い浮かべます。
最終的にどんな建物にしたいのか、その全体像は思い描いている。
スケッチを描くこともできるでしょう。Figmaで書いてもいい。
(その意味で、デザインファーストでよいと思います)
しかし、実際に積み上げるときは、一気に完成形を作ろうとはしません。
まずは土台になるブロックから置く。
ぐらつかないか確かめる。
役立つものを核に据えられているか、動くもので実験をする。
以前はコストのかかったこのプロセスが、非常にやりやすくなっている。
(この意味で、ビルドファーストの意義はもちろんあります)
少しずつ積み上げながら、全体像とズレていないかを確かめる。
これが、現代的なものづくりの姿だと思います。
体験がいかに更新されるか、というイメージをもち、発展形まで見据える。
しかし実装は、もっとも重要なコアから始める。
未来の体験につながる一番大事なブロックを選び、それを実物として積み始める。
そして、そのブロックが全体像と整合しているかを確認する。
ただの足し算ではなく、将来の姿との整合をとる。
これが、デザインファーストとビルドファーストのあいだにある姿勢ではないかと思うのです。
機械協働の時代に
機械協働の時代に入り、とてつもないスピードで試行錯誤が可能になりました。
だからこそ、いつまでも完成図を磨き込んでいてももったいない。
しかし、作れるところから無秩序に積むだけでも効率的検討にはならない。
デザインファーストか、ビルドファーストかという投げかけ自体があまり適切ではないように思います。
ものづくりの本質は、どのツールから始めるかではありません。
必要なのは、未来図を書き換え続けながら、体験を変える重要ブロックを積み上げる姿勢だと考えています。


