私は、建築について専門的に語れるわけではありません。
ただ、いくつかの作品を見ていると、UXデザインを考えるうえでも、はっとさせられることがあります。
場所に馴染む建築
妹島和世さんと西沢立衛さんによるSANAAの《Grace Farms》という建築があります。

アメリカ・コネチカット州にあるコミュニティ施設です。
写真を見ると、まず不思議な屋根が目に入ります。建物というより、丘の中を川のように流れている線のように見える。ガラス越しに周囲の自然が見え、建築が風景を遮るというより、風景の中に人の居場所をそっとつくっているように感じられます。
もう一つ、ペーター・ツムトアの《テルメ・ヴァルス》という建築があります。

スイスの山あいにある温泉施設です。
石でできた浴場が、山の中に埋め込まれるようにつくられています。写真を見ると、建物が土地の上に置かれているというより、山の中から静かに現れたように見える。石、水、光、暗がりが一体になっていて、洞窟のようでもあります。
想像力が立ち上がる順番
この二つの建築を見ていて、強く印象に残ったことがあります。
それは、建築家の想像力がない、ということではありません。
むしろ、どちらも非常に個性的です。一度見ると忘れにくい。
ただ、その個性は、「私はこういう形をつくりたい」という内側のイメージを、場所に押しつけた結果として現れているようには見えません。
順番が違うのだと思いました。
まず、前提条件としての場所がある。
どういう敷地で、どう丘があり、木があり、光があるのか。
人がどうそこに訪れるのか。
その前提を受け入れたうえで、そこから何が自然に立ち上がるのかを考えている。
ツムトアの『建築を考える』の言葉を使うなら、その風景から”生え出した”ように見えるものを作ろうとしているように見える。
「足す」と「生える」
この「生える」という感覚に、少し驚きました。
UXデザインでも、私たちはもちろん環境を見ます。
リサーチをします。ユーザーの行動を観察します。生活や業務の文脈を理解しようとします。
ただ、デジタルプロダクトを考えるとき、私たちの想像力はどうしても「そこに何を新たに置くか」に向かいやすいのではないかと思います。
どんな機能を置くか。
どんな支援を置くか。
それは、リサーチに基づいた正しい支援かもしれません。
けれど、それがその人の生活や環境の中に”生えている”ように感じられるかというと、また別の話です。
デジタルプロダクトは、どうしても「足す」ことが得意です。
画面を足す。
通知を足す。
もちろん、それによって助かることはたくさんあります。
複雑な行動を整理し、迷いを減らし、必要な情報に早くたどり着けるようにする。
それはUXデザインの大事な役割です。
ただ、足すことによって、もともとあった環境の質が変わってしまうこともあります。
自然に流れていた行為が、手順になる。
なんとなく気にかけていたことが、管理対象になる。
人の判断に委ねられていた余白が、選択肢やステータスに変わる。
支援しているつもりで、環境そのものを少しずつ別のものにしてしまうことがある。
そこから何が生えるのか
だからこそ、ツムトアや妹島さんの建築から読み取れる
「そこから何が生えるのか」
といった投げかけは新鮮で、デジタルの設計にとっても重要なのではないかと思います。
ユーザーの環境を理解するだけではなく、その環境をできるだけ壊さない。
すでにある生活の流れを断ち切らない。
そのうえで、そこから自然に立ち上がるような支援を考える。
この想像力の持ち方は、良い意味でのショックを与えてくれたと思います。
よい設計とは、何かを強く置くことだけではない。
すでにある場所や生活を受け入れ、そこから何が”生える”のかを考えることでもある。
環境条件を丸ごと受け入れる
青木淳さんは
「建築を考える前に、設計に先立って存在する環境条件を、まず丸ごと受け入れる」
といった主旨の文章を書いています。
地形や敷地のかたち、周囲の建物、人の流れ。その場所にすでに存在している条件を、良い悪いで判断する前に受け止める。そこから、ようやく何をつくるのかを考え始める。
このスタンスを、こうした言葉に落とし、実践し、素晴らしい作品に落としている。
デジタル領域のプレイヤーが、成熟度の高い建築家から学ぶことは多いと思います。


