私はこれまで、生活者が感じるペインを起点にUXを考えてきました。
ここで言うペインとは、命に関わるような激しい痛みではありません。少なくとも先進国の多くのサービス文脈において観測されるのは、激痛というよりも「疼痛」と呼ぶべきものだと感じています。
使いづらいけれど我慢できる。
少し手間だが、毎回そうしている。
なんとなく引っかかるが、生活は回っている。
——そうした慢性的な違和感を、設計の種としてきました。
ヤン・チップチェイスが『サイレント・ニーズ』で提示したコンフォートゾーンの概念は、その思考を支える重要なレンズでした。
人は一日のなかで、快適な領域とその外側を微細に行き来している。満足度は揺れ動き、小さな介入によって回復する。その揺らぎを観察することが、UXの出発点でした。
【ご参考:コンフォート概念理解のために】
ヤン・チップチェイスが提示した「衛生状態」の例。
⇒快適なゾーンを抜けてしまうと不快さ、違和感が生じる。この例ではシャワーやブレスミントがソリューションとなり、快適さが保持されるジャーニーとなっている

ゾーンから少し外れた瞬間に生まれる疼痛。そこに手を差し伸べる設計。
役立つものを作るためのヒントとして、私はこの構図に何度も助けられてきました。
しかし最近、ひとつの違和感を覚えるようになりました。
私たちは本当に、コンフォートゾーンの外側を観測できているのでしょうか。
テクノロジーによる支援が前提の環境では、違和感が立ち上がる前に補正が入ります。
レコメンドは先回りし、ナビゲーションは自動で最適化され、ペインを感じる前に環境が整えられていきます。
生成AIは思考の叩き台を差し出し、超えるべき壁そのものが低くなる。摩擦は減り、疼痛は和らぐ。
私たちは、そもそもコンフォートゾーンから「外れた」という自覚そのものが生まれにくくなっているのではないか。
前提が変わっているとしたら、設計の起点も置きなおさなければなりません。
本連載では、ヤン・チップチェイスのコンフォートゾーン概念を手がかりに、機械協働時代における快適さの意味を再解釈します。
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