機械協働という前提のもとで、いくつかの既存概念を再解釈してきました。
Habit Loop。(連載目次)
Peak-End。(連載目次)
コンフォートゾーン。(連載目次)
扱ってきた理論は異なります。
しかし、ここまで読み進めると、背後にある問いは一つに収束していきます。
機械が高度に最適化を行う世界で、私たちは何を引き受けるのか。
機械は最適化する。しかし、方向は持たない。
アルゴリズムは傾向を読みます。クリックされやすいもの。離脱されにくいもの。滞在時間が伸びるもの。それらを学習し、精緻に最適化していく。
機械協働環境において、最適化は前提です。
そしてそれは、今後さらに強く、速く、深くなっていくでしょう。
しかし、ここに決定的な事実があります。
最適化には、方向がないのです。
最適化は、与えられた目的関数を忠実に遂行します。短期の指標が置かれれば短期に、収益が置かれれば収益に、依存が置かれれば依存に向かっていく。
しかし、その目的そのものは、自動では決まりません。何を強めるのか。何を育てるのか。何を犠牲にしてよいとみなすのか。
そこには、必ず意図、意思が入っています。
作り手もまた、コンフォートに包まれる
機械協働環境は、利用者だけをコンフォートに包むわけではありません。
作り手もまた、コンフォートに包まれます。
分析は即時に返り、仮説はすぐ検証され、改善は高速で回る。
迷いは減る。議論は減る。数値は安定する。それは効率的で、合理的で、心地よい。
しかし、その滑らかさのなかで、静かに失われていくものがあります。
「そもそも、どこへ向かっているのか」という問いです。
最適化がうまく回っている限り、方向を疑う必要はなくなります。
しかし方向を疑わないということは、方向を選んでいないということでもあります。
意思は、意識しなければこぼれ落ちる。
願いは、握り続けなければ消えていく。
執念のように持ち続けなければ、数字の滑らかさのなかに溶けていく。
問題は、私たちが願いを持たなくなることです。
では、どんな方向を仮定するのか
方向とは何か。
それは単なるKPIではありません。
人間の営みには、時代や文化を越えて共通する“求められる善”の傾向があります。いずれも「人がよりよく生きたいと願う方向」に重なるものです。たとえば──
- 不自由や拘束よりも、自由を求める。
- 不平等や格差よりも、平等を求める。
- 危険やセーフティネットの欠如よりも、安全を求める。
- 不安よりも、安心を求める。
- 差別や排除、不寛容よりも、博愛や寛容さを求める。
- アイデンティティの喪失、コミュニティの喪失といった局面では、立ち戻る伝統やルーツに価値を見出す。
- 意欲が持てない・報われない日々よりも、エネルギーを持った勤勉な日々を望む。
- 貧しさ──金銭面の困窮、文化的な疎外、孤独や関係性の断絶など──よりも、豊かさを求める。
これらは声高に語られることは少なくても、人々の意思決定の底流に静かに流れている「行動の方向性」だと言えます。
歴史は揺れます。社会は矛盾を抱えます。
それでもなお、人は「よりよく生きたい」と願う。
この「よりよく」の方向こそが、善の輪郭です。
機械は善を定義しません。機械は与えられた目的を遂行するだけです。
だからこそ、どの善を引き受けるのかを仮定することが、人間の仕事になると私は考えます。
善を仮定しない最適化の危うさ
最適化は強力です。
しかし、善を仮定しない最適化は、ただの加速装置です。
滞在時間は伸びるかもしれない。依存は深まるかもしれない。収益は増えるかもしれない。
しかしそれが、自由を広げているのか。自律を支えているのか。平等を促しているのか。安心を育てているのか。
そこは、自動では保証されません。
短期最適だけを追い続ける世界は、摩擦が少なく、心地よく、滑らかです。
しかしその滑らかさは、静かに大切なものをを削り取っているかもしれない。
変化は、気づかないうちに静かに進みます。
補助線は、これから何を支えてくれるのか
著名でパワフルな思考の補助線を、これからのために見直してきました。
Habit Loop。
機械協働で変化が進む日々はどうなっていくのか。
外的刺激による無理やりの習慣化から、日々に自然に織り込まれた変化を実現できる可能性を見てきました。
Peak-End。
ピークもエンドもなくなってなどいない。
どの時間幅で体験を評価するのかを問い、長い時間軸でのピーク設定の必要性を示唆しました。
コンフォートゾーン。
快適さの半径をどう広げるのかを問い、むしろ不快さを狙って織り込むという逆方向の発想を提示しました。
いずれも、いかなる未来に向けたプログレスをなしうるのか、という意思の問題を扱いました。
それは利用者のためだけではありません。
作り手自身が、ゆっくり死なないためでもあります。
機械協働時代のデザイン
機械協働時代において、デザインとは何か。
それは、最適化することではありません。
最適化の方向を仮定すること。どんな未来を引き受けるのかを決めること。その意思と願いを、構造に落とし込むこと。
機械は、現在を滑らかにします。しかし未来を仮定するのは、人間です。
善の方向を握り続けるのは、人間です。
問いを持ち続けるのも、人間です。
そこに、デザインの根幹があると考えています。


