書籍を出すときめて、書こうとしているアイデアを古い友人に話す機会も増えた。
素朴な発見として、「UX」「DX」と多くの人が使うようになった言葉は、それぞれの捉え方があり、私が捉えてきた意味もローカルなもののひとつだった、ということ。
ストレートに言えば、私が使っている定義は広い。
それを知らなかった。
一般にはUXという言葉には「デジタル寄り」の雰囲気があり、UIを少し広げたもの、というトーンである様子。20年やっている専門家といいながら(むしろそのキャリアがあるからか)、そのあたりのニュアンスの認識が甘かったと今更ながら感じている。
私の感覚でいえば、生活者の体験は、デジタルに限るものでもない。なので、「UX(生活者の体験)」はデジタルに閉じない。また、何かしらのUser Interfaceを作る作業と常にセットで扱われるものでもない。体験はデジタルUIとセットでなければ語られない、とすれば素直に違和感があった。
※冷静に考えれば、User eXperienceという言葉は、「User」を前提にしているので何らかのツールを使う人、と考えればデジタル寄りでUIとセットというのもわからなくはない
他にもある。DX。
DXという言葉も、日々の暮らしが変わるムーブメントというより、「デジタルツール導入」という、もう少し個別具体的な取り組みを指すことがむしろ多い様子でもある。
これは個人的に衝撃だった。
ただ、これも冷静に考えれば、そんなに人の暮らしを変えるようなチャレンジをどこでもやるなんてことはなく、デジタル導入という「一大イベント」をDXと名付けるのは、それはそれで自然な気もする。
その、普通の、自然な感覚から遠ざかっていたことをまずは自覚しないと、と思う。UXもDXも専門用語ではなくなっていて、それぞれの文脈で、それぞれが使う一般の言葉になっている。
何か「正しい」であろう定義を押し付けるなどというのは間違いに思う。
もちろん、自分の感覚が相対化されることには多少のショックもありつつ、面白味も感じる。
今まで自分が空気のように使っている言葉であればなおさら。
濃度の高い場所で長く仕事をすると、良くも悪くも感覚はずれる。それはそれで、オリジナルなものの見方や仕事の仕方を生み出す源泉にもなる面もあるのだけど、自覚してないと永遠に噛み合わない。


