もしミルクシェイクが完全に可変だったら
機械協働時代にデザイン原則がどう更新されるか、これまで検討してきました。
この流れで、ジョブ理論についても思いを巡らしてみたいと思います。
大きな理論の話をするつもりはありません。
ひとつの思考実験をしてみたいと思います。
もしミルクシェイクが、完全に可変だったら。
固定商品だったから見えたもの
ミルクシェイクの有名な話があります。
状況①:
長距離通勤をするドライバーは、退屈な時間を持たせるために、粘性が高く、すぐに飲み終わらないミルクシェイクを“雇う”。
状況②:
夕食前に子どものおやつとしてミルクシェークを与える場合は、量が少なく、さっと飲み終わるものが“雇われる”。
同じ商品でも、状況が違えば求められる特性は変わる。人は商品を買っているのではない。状況を前に進める役割を雇っている。
これがジョブ理論の核心でした。
しかし、この話にはひとつの前提があります。
ミルクシェイクが「固定商品」だったということです。
粘性は決まっている。
甘さも決まっている。
サイズも限られている。
だからこそ、どの状況にフィットしているのかを観察できた。
ジョブ理論は、固定されたプロダクトが、どの状況に雇われるのかを見抜く理論だったとも言えます。
可変になった瞬間、問いは変わる
では、もしミルクシェイクが完全に可変だったらどうでしょうか。
粘性はその人の飲む速度に合わせて変わる。
甘さは嗜好履歴から最適化される。
量はその日の摂取カロリーに応じて調整される。
提示タイミングは空腹予測に基づく。
つまり、状況に合わせて商品そのものが変わる世界です。
このとき、問いは変わるのではないでしょうか。
「どの状況にフィットしているか」から、
「どの方向にフィットさせるのか」へ。
可変は、どの欲望にも適応できる
可変ミルクシェイクは、退屈を穏やか軽減し、空腹をやわらげる方向にも適応できます。
しかし同時に、一つの可能性として
・より甘く
・より刺激的に
・より頻繁に欲しくなるように
中毒的な方向へチューニングすることもできうる。
可変であるということは、人の欲望をどちらにも導けるということです。
適応そのものは価値ではない
固定商品だった時代、ジョブ理論は状況理解の理論でした。
可変商品になった時代、ジョブ理論は方向選択の理論になります。
データを活用しパーソナライズしている。ユーザの状況を読み取って、先回りする。
それ自体は、もはや前提です。
問われるのは、どんな生を支える方向に最適化しているのか。
より刺激的で、より強い反応を生む方向なのか。それとも、持続可能で、健やかな日常を支える方向なのか。
そこには、設計者の倫理が問われる瞬間がくるのではないでしょうか。
健康を願い、生活者を食い物にしない、そんな善なる設計が求められる気がします。
「ユーザに合わせている」といったとき、その合わせた先が、善き生につながっているのか。
そこまで考えることが、これからの設計に求められるのではないか。
可変の力を、どう活かすか
機械協働時代、ジョブ理論は「どの状況に雇われるか」の発見に留まらず、「可変の力を活かして、どの方向で暮らしを支えるか」を考えるところまで広がるのではないかと思います。
ミルクシェイクは、退屈な時間を支える飲み物にもなれるし、依存を育てる装置にもなれる。
どちらになるかは、技術の問題ではありません。
設計の問題です。
可変であるほど、善への志向は避けて通れない。
この思考実験が、機械協働時代のジョブ理論を考えるひとつの手がかりになればと思います。


