これまで私は、「やわらかい設計」という言葉を使ってきました。
設計しすぎないこと。
あらかじめすべてを決めないこと。
ただ、最近少し違和感が出てきています。
「やわらかい」という言葉は、状態を表してはいるのですが、設計の意図まではうまく言い表せていない気がするのです。
もう少し正確に言うならば、それは「ゆだねるデザイン」と呼んだほうがよいのではないかと思っています。
原っぱと遊園地
この違いを考えるとき、よく思い出す比喩があります。
青木淳さんの「原っぱと遊園地」です。
遊園地には、あらかじめ体験が用意されています。どこに並び、どの順番で体験し、どこで楽しむか。ある程度まで、設計されています。
一方で原っぱには、何もありません。ただし、「何もない」というのは正確ではありません。そこには、何をしてもよいという余白があります。走ることもできるし、寝転ぶこともできる。誰かと遊ぶこともできるし、ひとりで過ごすこともできる。
つまり原っぱとは、「そこで行われることによって中身がつくられていく空間」である。
ゆだねるデザインとは、この原っぱに近い。
包丁とリンゴ皮むき器
似た構造は、道具にも見られます。
ソシオメディア上野さんの古いポストにありますが、「包丁とリンゴ皮むき器」です。
リンゴ皮むき器は、誰が使っても、ほぼ同じ結果になります。一定の手順で操作すれば、同じ厚さで、同じ形に皮がむける。そこに「ゆだねられている部分」は多くありません。
一方で包丁はどうでしょうか。使う人によって、仕上がりは大きく変わります。薄くも厚くもむけるし、速さも違う。そもそも皮をむかないという選択すらできる。
包丁は、結果を規定しません。その代わり、使い手に大きくゆだねています。
どちらが良いという話ではありません。
ただ、ここには明確に「ゆだねる量の違い」があります。
正しい姿勢は、誰が決めるのか
再び青木淳さんの言葉ですが、エルゴノミクス的に優れた椅子は、正しい座り方を環境側が強制する面がある、と指摘しています。
体にフィットする。長時間座っても疲れにくい。それ自体は、優れた設計です。
ただ同時に、「こう座るべき」という形を環境が決めてしまうとも言えます。
「いたれりつくせり」であることが、結果として行為や感覚を拘束してしまう。
もちろん、エルゴノミクス的な設計が適切な場面は多い。
しかし、いつでもそれが強制されることが正しいとは限りません。
だらっと座ることや、姿勢を崩すことや、その場に応じた自由な振る舞いが、場の質を高めることもあります。
設計しないのではなく、ゆだねている
ここまで見てくると、「ゆだねるデザイン」は、単に設計を弱めることではないとわかります。
むしろ逆で、どこまでを設計し、どこからをゆだねるか。
その境界を意識的に引くことです。
遊園地のように設計するのか。
原っぱのようにゆだねるのか。
リンゴ皮むき器のように結果を揃えるのか。
包丁のように振る舞いを開くのか。
その選択が、体験の質を大きく左右します。
ジャーニーに押し込めない
UXの文脈では、体験をジャーニーとして整理することがよくあります。
どのタイミングで、何を提示するか。
どの順番で、どう進ませるか。
それは非常に有効な方法です。
ただ、すべてをそこに押し込めてしまうと、
見えなくなるものがあります。
人が勝手に振る舞う余白。
自然に生まれる関係性。
設計されていないからこそ立ち上がる価値。
そうしたものは、ジャーニーの外側にあります。
ゆだねるデザインとは、その外側を残すことでもあるのだと思います。
場は、設計されるものか、育つものか
場を良くする方法は、ひとつではありません。
設計によって整えることもできるし、ゆだねることで育てることもできる。
重要なのは、どちらを選ぶかではなく、どこを決め、どこを開くか。
その見極めです。
設計することと、ゆだねること。
その両方を扱えるとき、場ははじめて豊かになるのだと思います。


