これから、UXデザインや企画、設計のような仕事に関わる人へ。
多少私も経験してきた期間が長くなってきまして、シェアしておきたいと思うこと、簡単にですが残してみます。
私は、社会人になったのは結構ゆっくりで、大学卒業後、1年ふらふらとしてから院に入り、その後卒業してからもすぐには就職せず、といった感じでした。
はじめて職についたのは、20代も後半になってからでした。
仕事を始めてからも、かなり長い間苦労をしました。
私は「手が動くところから始める」以外の仕事の仕方を知りませんでした。
何が問題なのか、何を解くべきなのか。
そういうことを積み上げて考える力は、まったく身についていませんでした。
だから、まず手を動かす。
手元にある資料を組み合わせて、それっぽく整える。
過去アウトプットをなぞり、近づける。
それが、当時の自分にできる最も“まともな仕事の仕方”でした。
今振り返ると、焦りもあったのだと思います。
手のかかる部下だと思われたくなかった。
ちゃんとできる、任せても大丈夫だと、早く示したかった。
焦って形にする。中身が煮詰まっていないまま手を動かす。
空転そのものです。
でもその焦りは、当時の自分にはあまり自覚できていませんでした。
あるとき、資料を作って上司に持っていきました。
時間をかけて、ちゃんと整えたつもりでした。
でも、その上司は、その資料を開くことはありません。
代わりに聞かれたのは、ひとつだけです。
「これは、何のために作ったの?」
うまく答えられないと、
「では、また次の機会に」と言われて終わる。
資料は、そのまま捨てられる。
そんなことを、何度も繰り返しました。
最初の1年くらいはその繰り返しだったように思います。
その後、その上司と会話したときに教えてもらったのですが、
「見たら負けだ」
と思っていたのだそうです。
中身を見てしまえば、どうしてもやってきた作業そのものにフォーカスがあたる。
結果、“整え方”の話になる。
それをやってしまうと、一番大事なところが置き去りになる。
当時はとてつもない不快さがありました。
作ったものを見てもらえない。
聞かれることは「目的は?」であることはわかっているのに、うまく答えられない。
そんな自分を呪いました。
やり方として、あの指導が正しかったのかは、今でもわかりません。
時代的にはミスマッチでしょう。
ただ、私が若いメンバーと仕事をするとき。
過去のプロジェクトを丁寧になぞり、フォーマットに当てはめ、その前提が合っているかどうかは疑わない、という過去の自分を見るような感覚になるとき、思うのです。
「楽をしようなんて思っていないことはよくわかる」
「でも、その無自覚な手軽さに走ると、必要な回路が育たないんだ」
形を整える前に、「これは何のためなのか」を考える。
フォーマットに沿って空欄を埋めるイージーな仕事であると定義しない。
(そういう仕事はあっていいのですが、そういう判断を都度する)
私は本当にゆっくりとした習熟のペースでしたし、上司にも大変な忍耐を強いました。
やるほうも見るほうも大変なのですが、それでも乗り越えるべき最初の壁だった気がします。
UXや企画の仕事は、「まだ形になっていないもの」を扱うことも多いです。
私の知る限り、前例をなぞればよいというものでもありません。
期限がある仕事なのでもちろん車輪の再開発をしている暇などありません。
ただ“それっぽく見えるもの”を作っているだけでは誰の足しにもならない。
私と同じようなところで引っかかる人がいたら、筋トレのようなものだと思って一定期間、「目的は?」と自分でやってみてください。
回路は、ゆっくりではあっても、やり続ければつながります。太くもなります。
素晴らしい活躍を祈ります。


