組織を率いる立場にいると、ときどき不安になる瞬間があります。
現場がバラバラに動いている。
取り組みが統一されていない。
ツールも方法も人それぞれ。
全体としての「方針」が、はっきりしない。
とくに生成AIのような大きな技術変化が起きているいま、そうした感覚を持つ人は少なくないでしょう。
何か指針を出さなければならないのではないか。
どこかでまとめなければならないのではないか。
このままでは統制が効いていないと思われるのではないか。
けれど、少し時間軸を長くとってみると、別の見え方が立ち上がります。
組織には循環がある
以前、三枝匡『ザ・会社改造』を読んだとき、組織の循環についての一節が強く印象に残りました。
組織には、戦略的に「束」になる時期がある。
全体が一つの方向を向き、力を合わせ、効率を高める時期。
一方で、末端がやたら元気になる時期もある。
現場がそれぞれに工夫し、試し、模索し、統一されないまま動き続ける時期。
どちらが正しいという話ではなく、それは交互に訪れるものだ、という趣旨でした。
当時、組織運営に悩んでいた私は、その視点に少し救われた記憶があります。
揃っていないことは、失敗ではないのかもしれない。
いまは、そういう位相なのかもしれない、と。
探索と活用という緊張
この循環は、組織論の言葉で言えば「探索」と「活用」の緊張関係としても説明できます。
ジェームズ・マーチは1991年の論文で、組織の営みを Exploration(探索)と Exploitation(活用)という二つの活動に整理しました。
いわゆる「両利き経営」の源流にあたる議論です。
探索とは、新しいことを試すこと。実験し、失敗し、学び、可能性を広げること。
活用とは、うまくいった方法を磨き上げ、効率化し、標準化すること。
探索は非効率です。
重複も多く、成果も不安定です。けれど未来を切り拓く力を持っています。
活用は効率的です。
成果は安定し、組織の力は束ねられます。けれど過度に偏ると、変化に鈍くなります。
組織は、この二つのあいだで揺れ続けます。
どちらかに固定され続けることは、むしろ危うい。
いまは探索、拡散がフィットする状況なのではないか
生成AIという技術の登場は、組織を強く探索側へ振ります。
正解がまだ見えていない。
ベストプラクティスも固まっていない。
だから人は試します。
ツールを変える。プロセスを変える。個別に工夫する。
それは効率は悪い。重複もある。力が合わさらないもどかしさもある。
けれどそれは、探索期の自然な姿です。
ここで「まとまっていない」という理由で、早急に収束させようとすると、何が起きるか。
未熟な知見が固定化される。新しい試みが逸脱と見なされる。探索が静かに止まる。
善意の統合が、未来の可能性を閉じてしまうことがある。
マーチは、速すぎる社会化(rapid socialization)は、長期的知識を劣化させると警鐘を鳴らします。
収束は、必要になったときに立ち上がる
もちろん、探索は永遠には続きません。
やがて、成果が頭打ちになる。それぞれの試みの重複や非効率が目立つようになる。「力が合わさらない」ことへの違和感が共有される。
そのとき、自然にこうした声が生まれます。
「そろそろ束ねたほうがいいのではないか。」
それは上からの統制ではなく、下から立ち上がる合理性です。
何がそのトリガーになるのかはわかりません。
市場の圧力かもしれない。
成果の停滞かもしれない。
内部からの自然発火かもしれない。
ただ、その瞬間は必ず訪れる。
だから、いま無理に束ねなくていい。
リーダーに求められるもの
では、拡散期のリーダーは何をすべきなのか。
方針を急いで出すことでも、形式的な統一を図ることでもないのではと思います。
試行錯誤を支えること。
探索を止めないこと。
探索を続けようとする人を守ること。
そしてもうひとつ。
収束の気配を感じ取るセンサーを持つこと。
散らばることを許しながら、重なり始める兆しを見逃さない。
無理に束ねない。
しかし、束ねるべき瞬間を逃さない。
それは、勇気のいる姿勢です。
生成AIの時代は、変化の速度が速い。
だからこそ、焦りも生まれやすいものだと思います。
けれど組織には、呼吸のようなリズムがあります。
広がるときがあり、締まるときがある。
拡散は「まとめることに失敗した」状態ではなく、ただそういう時期なのだ、という捉え方のほうが正しいこともあります。
いまは、広がりやすい状況にあることはおそらく間違いないと思います。
分散された状態は、高みに至るための大切な助走です。
組織は、自然にExploitation(活用)へ傾きます。だから Exploration(探索)は、意識的に守らなければならない。
束ねない勇気もまた、組織を次のステップへ導くための、大切な選択なのではないでしょうか。


