Netflixで『超かぐや姫』を観ました。
デジタル空間にのみ存在していた知性が、物語の最後で身体を得ます。ロボットという物理的な器を持ち、人と同じ空間に立つ。その描写は象徴的で、観終わったあともしばらく心に残りました。
その場面を見ながら、思い出した議論がありました。
「SFの話ではなく、AIは既に身体を持ち始めているのではないか」という投げかけです。
「Embodied AI」という視点
ビービット藤井氏が「Embodied AI」という言葉で議論を整理しています。
https://note.com/fujii_bebit/n/n1dce6001bda0
AIを物理空間に「適用する」のではなく、AIがロボットや工場、サプライチェーン、都市といった構造を「身体として持つ」と考える。
AIが身体を持つ。
その身体で起きていることをデータとして吸い上げ、全体最適を考え、学習し、再び身体を動かす。小さな特化AIが各所で機能し、それらを束ねる全体最適の知性が存在する。
この捉え方は、とても示唆的で、「ロボットにAIを載せる」という発想とは少し違います。
その逆で「知性が、世界に影響を与える手足をもち、巨大な身体になっていく」という発想です。
AIは「脳の拡張」としてとらえられ、その次がはじまりつつある
これまでAIは、多くの場面で「脳の拡張」として語られてきました。
計算を助ける。
文章を書く。
判断を補助する。
思考の加速装置としてのAIです。
私たちはAIを使って考え、整理し、表現してきました。
それは画面の中で働く、頭脳の延長でした。
しかし、身の回りを見渡してみると、少し違う種類のAIがすでに入り込んでいます。
ロボット掃除機は、私たちが細かく指示を出し続けなくても、部屋を巡回し、掃除を終え、充電場所へ戻ります。
空調は人の動きや外気温を検知し、出力を自動で調整します。
ここではAIは考えるだけでなく、動いています。
世界に触れ、空間の状態を変えています。
それは、脳の拡張というよりも、手足の延長に近いものです。
以前「使い続ける」ことすら、意識されなくなる時代が近づいていること、そのときUXは別の次元のものに変質するといったことを書きました(過去記事)。
それは「AIの巨大な身体の中に住むことだ」と捉えてもよいのかもしれません。
始まりの端緒
『超かぐや姫』では、知性が最後に身体を得ました。
物語として、とてもわかりやすい瞬間です。
現実の世界では、その身体の獲得は目立たず、静かに、小さなかたちで始まっています。
床を掃除するロボットとして。
空気を整える制御システムとして。
モノの流れを動かすネットワークとして。
もし私たちがいま、知性が身体をまとい始める時代の入口に立っているのだとしたら。
後から振り返ったとき、この何気ない日常こそが、その転換点だったと言われるのかもしれません。


