前回触れたように、代表性は揺らいでいます。経路は固定されず、区切りは曖昧になり、体験は連続する。設計者が体験の重心を一義的に仮定することは、以前より難しくなりました。
この状況を前にすると、ピークエンドの法則そのものが時代遅れに見えるかもしれません。
しかし私は、そうは思いません。
ピークが消えたのではない。エンドがなくなったのでもない。
私たちが見ている時間単位が、短かかっただけではないかと今は考えています。
「連続を伸ばして、人がそのなかでどう変わるのか」を考える
ショート動画が延々と続くのは、偶然ではありません。
アルゴリズムは、よく知られるように
- 関心を補強し
- 摩擦を減らし
- 区切りを消し
- 次へと接続する
凄まじいパワーを持っています。
体験をできるだけ平らにし、滞在時間を延ばす。
それはビジネス的に合理性もあります。
しかし、そこには、本当はもう一段の設計があるべきではないかと思うのです。
滞在時間が伸びるのはよい、大事なのはその先で「その伸びた時間の中で、人は何が変わるのか」という視点をデザイナは組み入れるべきではないか。
滞在の長さではなく、時間の中で起きる変化に焦点を当てる。
この視点は、これからの設計原則のひとつになり得るのではないかと思うのです。
ピークを、跳躍として捉え直す
英会話学習の例に戻ります。
Dailyの達成。連続記録の更新。スコアの向上。
これらは確かに必要な山です。
しかし、学習者の記憶に深く残る瞬間は、別のところにあるかもしれません。
ある日の駅のホーム。
海外からの旅行者に声をかけられるシーン。
これまでは話しかけられても、聞こえないふりをしたり他の人に任せていたけれど、今回は違う。
自然と言葉が出る。
スムーズではなくとも、通じたという感覚がある。
その瞬間、自分が変わっていると気づく。
ここで起きているのは、感情の最大化ではなく、自己認識の更新です。
もしピークを、刺激の高さではなく状態の跳躍として捉えるならば、ピークは一回のセッションの中に閉じ込められません。
ピークとは、状態の更新を自覚する瞬間である。
そう考えるなら、ピークは時間の中で育つものになります。
バッジをもらえるという小さなピーク以上に、自分の変化を実感するという大きなピークを設計できるとすれば、機械協働時代の「緩やかに続けてしまう」技術は、大きなピークに向けての長い助走だと捉えることもできる。
時間を階層で考えるという可能性
日:Daily、週:Weekly、月:Monthly、年:Annualと時間軸を置いてみましょう。
機械はDailyを最適化できます。
Weeklyの傾向も分析できます。
しかしAnnualの跳躍は、自動では生まれません。
短期の最適化が、長期の跳躍につながっているかどうかは、設計者が問い続けなければ見えてきません。
短期の最適化が、長期の変化を削らない設計であるか。
この問いを持つこと自体が、設計原則になり得ます。
時間を階層として捉え、それぞれの単位でどのような変化が起きてほしいのかを想定する。
それは、機械が扱う時間単位とは異なる、もう一段長い時間への視線です。
エンドを、節目として再設計する
終わらない体験の時代において、エンドは軽視されがちです。
しかし区切りがなければ、変化は自覚されにくい。
エンドを「終了」としてではなく、時間を折りたたむ節目として捉え直す。
今日はここまで。
今週はここまで。
今月は一区切り。
終了ではなく、節目を設計する。
この姿勢もまた、時間構造を取り戻すための重要な視点です。それは、自らの状態の更新を確認するきっかけにもなりえます。
時間単位を選ぶ責任
機械協働時代、テクノロジーは連続を極限まで滑らかにできます。
しかし、どの時間単位に意味を置くのかは、依然として人の判断に委ねられています。
一年後にどう変わっていてほしいのか。
どの地点を跳躍と呼ぶのか。
どこで区切るのか。
体験設計上、どこまでの時間軸を設定するか。そこに提供価値を定めるという人間の仕事がある。
ピークは消えていない。ただ、私たちが置くべき場所が、アルゴリズムが扱う単位よりも、少し遠いところにあるのかもしれません。
「第1回:はじめに」で触れた投げかけへの応答
ショート動画が延々と続く時代に、デザイナは何を考えるべきか。
滞在時間を伸ばすことだけでは、足りない。
連続の中に、どんな跳躍を置くのか。どんな節目を設けるのか。
その問いを持ち続けること。
それが、機械協働時代におけるピークエンドの再解釈であり、時間設計という新しいデザイン原則の出発点になるのではないでしょうか。
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