なぜ、あるゲームは「クソゲー」と呼ばれ、あるゲームは「良ゲー」と呼ばれるのでしょうか。
難易度が高いからでしょうか?
いえ、必ずしもそうではありません。
失敗が理不尽に感じるとき、人は離れます。
しかし、同じように難しくても、「いまのは自分のミスだ」「次はこうすればよい」と感じられるとき、人は続けます。やりたくてもう一度やる、というエネルギーが沸くのです。
ポイントは、失敗が学習に変換されるかどうかです。
Rewardの再定義
Habit Loopにおいて、Rewardはしばしばポイントやバッジといった外発的強化として理解されてきました。
それらは一定の効果を持ちます。
しかし、より本質的なRewardは、「この行動は意味があった」と理解できる瞬間にあります。
失敗が、理不尽ではなく改善可能なものとして見える。
そこに学習が生まれ、もう一度やりたいという内発的なエネルギーにつながる。
理不尽な失敗とは、
何が悪かったのかわからない。
改善の方向が見えない。
再挑戦しても同じ結果になりそう。
という状態です。
一方、意味ある失敗とは、
どこがずれたかが見える。
どう直せばよいかが示される。
もう一度試したくなる。
という状態といえます。
ここでは失敗そのものがRewardになります。夢中になっているテーマについて「理解が深まる」という報酬は、決して安いものではありません。
機械協働環境が変えるもの
従来、独学時には、失敗の意味づけは利用者自身に委ねられていました。
やってみて、失敗したように感じ、自分なりに何が悪かったかを推測してみるほかなかった。うまくいかない時期が続けば「向いていない」と感じてしまうこともある。
しかし機械協働環境では、
- ずれた箇所を即座に可視化
- 前回との差分を提示
- 改善案がその場で提示
がしやすくなります。
失敗は曖昧な体験ではなく、具体的な情報に変わる。
たとえば語学学習で、
「発音が間違っている」ではなく、
「“seat”の母音が短く聞こえます。口を横に広げたまま、もう少しだけ伸ばしてみましょう」
と示される。
音楽で、
「リズムが乱れている」ではなく、
「3拍目で少し走っています。メトロノームに“重ねる”意識で、もう一度弾いてみましょう」
と示される。
ここで起きているのは、外発的報酬ではありません。
曖昧な評価から、身体に戻る指示への変化です。自己理解を更新する支援がされているといってもよいでしょう。
次の挑戦の芽
機械協働環境では、
「ここが良くなっている」と同時に、
「次はここを試してみませんか」が差し出される。
失敗の分析が、次の挑戦の芽になる。
Rewardが満足で終わるのではなく、自然に次のActionへ接続する。内側で火がつき、そのまま次の一歩が見える。
これは、学びのサイクルがまわる内燃機関になりえます。
旧来の問いは「どんな報酬を与えるか」でした。
更新された問いは「失敗をどう意味あるものに変換するか」です。
Triggerが生活に編み込まれ、Actionが協働に変わり、Rewardが自己理解へと変わるとき、Habit Loopは強化装置ではなく成長装置になります。
そしてその背後で、学習層が静かに働いている。
次回、その構造を見ていきます。

