組織の雰囲気は、ある日を境に少しずつ変わることがあります。
会議で交わされる言葉が変わる。
評価される成果の種類が変わる。
どこまで踏み込むのが自然かという感覚が、微妙にずれていく。
昨日までは称賛されていた振る舞いが、今日は少し浮いて見える。
明確な宣言があったわけではないのに、重心が移動している。そんな経験をしたことがある人もいるかもしれません。
この変化を考える手がかりとして、最近あらためて読み返していたのが、ピエール・ブルデューの「イルーシオ」と「ハビトゥス」という概念です。
イルーシオとは、その場のゲームに価値があると信じている状態を指します。
企業であれば、売上や成長、品質や安定といったものが、その時々の「本気のゲーム」になります。そこに意味があると信じられているからこそ、人は時間やエネルギーを投じます。
陸上競技などでも、「速く走る」「遠くに投げる」「遠くに飛ぶ」ということに共通の意義をおき、真剣に信じるからこそゲームになる。
一方のハビトゥスは、その場での経験を通じて身体化される感覚や判断の癖です。何に違和感を覚えるのか。どこまで踏み込むのが当然なのか。どの程度が妥当なのか。こうした基準は、明文化されていなくても共有され、次第に「自然なもの」になっていきます。
この二つを手がかりにすると、組織の雰囲気の変化も、単なる気分の問題ではなく、「本気のゲームの更新」として見えてきます。
この二つの概念を手がかりに、組織におけるリーダー交代というシーンで考えてみましょう。
企業ではしばしば、異なるタイプのリーダーが交互に登場します。
成長や突破を志向する「攻め」のタイプと、安定や持続性を重視する「守り」のタイプ。
妥協なく成果を求める仕事人の後は、調整や管理を通じて環境を整える人が担う。
どちらが優れているという話ではありません。むしろ、組織は一定の揺り戻しを繰り返しながらバランスをとろうとします。
しかし、リーダーのタイプが変わるとき、単に施策が変わるだけではありません。「何が本気のゲームなのか」という定義が、少しずつ動くように思います。
たとえば、ある時期には「より遠くへ到達すること」が暗黙の目標になることがあります。解像度を上げること、妥協をしないこと、他にはない成果を出すことが誇らしいとされる。そこでは緊張が保たれ、何度でも試行錯誤する完璧主義にもみえる姿勢が価値を持ちます。多少エキセントリックでも目をつぶってよい、という空気感が出やすいかもしれません。
一方で、別の時期には「持続可能であること」が重心になります。業務負荷を減らすこと、無理をしないこと、安定的に回すことが評価される。管理の部分が多少強まり、調整の技術に長けた人が脚光を浴びることも増えるかもしれません。今なら、AIやツールの活用も、その文脈のなかで位置づけられるでしょう。
どちらの方向も組織にとって必要な局面があります。ただ、イルーシオが変われば、ハビトゥスもゆっくりと変わります。
挑戦が誇らしい場では、慎重さが物足りなく見えることがあります。
安定が重視される場では、過度な緊張が過剰に映ることがあります。
人は命令によってではなく、評価の方向に適応します。何が安全で、何が称賛されるのか。その地形に沿って、知覚や判断の基準が形づくられていきます。
ブルデューの枠組みで見ると、組織運営とは制度やKPIの設計だけでなく、「どのゲームを中心に据えるか」を選ぶ行為でもあります。そしてその選択は、時間をかけてハビトゥスを形成します。
興味深いのは、この重心の移動が必ずしも明示的に語られないことです。戦略は共有されても、「私たちはいま何を本気のゲームとしているのか」は、暗黙のまま更新されることが多い。
緊張に重心を置くのか。
安定に重心を置くのか。
その違いは、短期的な成果以上に、組織の見ている景色を変えていきます。
ブルデューの概念は、誰かを評価するためではなく、いま自分たちの重心がどこにあるのかを確かめるためのレンズのように感じます。
組織は常に揺れ動きます。
そしてその揺れのなかで、イルーシオは更新され、ハビトゥスもまた静かに書き換えられていきます。
ときどき立ち止まり、私たちはいま何を疑いなく本気にしているのかを確かめてみる。
その問いは、意外と見過ごされやすいのかもしれません。


