この数年で、「UX起点で考える組織を作りたい」という相談をいただくことが増えてきました。
UX業務の内製化が進み、そうした機能を組織に埋め込む必要が出てきている。
流れとしては、とても自然だと思います。
ただ、話を聞いていると、ほぼ例外なく難しさがあります。
理解されない。
そもそもの必要性を説明することに時間がかかる。
こうした状況を、個々人の説明力や、対話相手との関係性の問題として捉えてしまうと、あまり良い解にはたどり着かないようにも感じています。
少し身もふたもない言い方をしてしまえば、多くの組織の感覚から見ると、
UX起点で考えるという姿勢そのものが、かなり異質です。
作っては壊す、を前提にする。正気なのか、と感じる人がいても不思議ではありません。
社内で声の大きな人に従えば、もっと早く、きれいに終わる話を、わざわざ生活者の反応を拾いに行く。
人によっては、それは「丁寧」ではなく、単純に「過剰」や「コスト」に見えるでしょう。
一方で、UXデザインの現場から見える風景は、少し違います。
最初から100点の答えが出せない以上、試行錯誤の回数を重ねるしか、品質は上がらない。
だから、作っては壊す。
反応を見て、また作り直す。
その一連のプロセスは、外から見ると「過剰」に見えるかもしれません。
ただ、内側から見ると、それは遠回りではありません。
過剰に見えるものは、ただの最短距離です。
業務定義の初期段階で、「いかにコストを下げるか」という視点を強く持ち込みすぎると、その前提のもとでプロセスが組み立てられてしまいます。
すると、調査や検証は「省略できるもの」「後回しにできるもの」として扱われやすくなり、UXの仕事そのものが、少しずつ骨抜きにされていく。残るのはUI調整、部署横断のワークショップでの認識合わせといった仕事になってしまう。
UXの取り組みがうまく機能しない場面を振り返ると、この段階で前提がずれてしまっているケースはそれなりにあるように思います。
一般的な組織の感覚で見れば、
・そんなに「そもそも」からやるのか。
・そんなに「何度も作っては壊す」のか。
という反応は、自然です。
UX業務を組織に埋め込みたい立場の人にとって、それが逆風になるのも、無理はありません。
もっとイージーに、カジュアルに、さらっと会社に入れられるものとして説明してほしい。
そう言われるなかで、この前提としての「過剰さ」を引き受けてもらうのは、かなりタフな仕事だと思います。
ここで起きているのは、「わかってもらえない」という感情の問題というより、異質な考え方が組織に入るときに必ず生じる摩擦だと思っています。
UX起点という考え方、またそれに基づいた業務は、その「過剰さ」ゆえに割に合わないととらえられがちです。
それを人間関係や個人の能力の問題に落としてしまうと、構造が見えなくなり、解のないところで消耗してしまいます。
この、一見して割に合わない仕事を、どうやって組織の中に根づかせていくのか。
答えは、組織ごとに違うでしょう。
ただ、頭で理解してもらうことだけに期待するよりも、
小さく実行し、成果として見せる。
その積み重ねが、現実的な道筋になることは多い。
UX起点という考え方は、本質的に異質です。
だから、時間がかかる。
いま感じている難しさは、誰かの能力不足や関係性の失敗ではなく、扱っているものの性質として「そういうものだ」と捉えるほうが、次の一手を考えやすくなることもあると思います。


