オバマ政権が立ち上がる際、「コミュニティ・オーガナイジング」の専門家として重要な役割を果たした人物に、マーシャル・ガンツがいます。
彼の仕事は、カリスマ的なリーダーシップ論とも、熱量を煽る運動論とも、少し距離のあるものでした。
ガンツは、運動に参加するメンバーに対して、定期的に次の5つを確認していたと言われています。
- 意義:仕事に意味があり、自分の関心と近いか
- 定義:仕事の全体像が理解でき、自分の役割・責任を把握できるか
- 裁量:自分でやり方を決められるか
- 評価:引き受けた責任に対する評価があるか
- 内容:単純作業だけでなく、頭や感情、体を組み合わせて使えるか
アンケート等でスコアリングし、どこかが落ちていれば、そこを重点的に手当てする。
やっていることは、驚くほど地味です。
けれど、私はこの話を聞いたとき、極めて実践的であることへの衝撃と、深い納得があったことを覚えています。
マネジメントは、コントロールではない
マネジメントとは何か、という問いに対して、
「人を動かすことではない」
「エネルギーを大きくすることだ」
という言い方は、決して珍しくありません。
けれど、その多くは、思想や姿勢の話で止まってしまいます。
「どういう覚悟で臨むか」
「どういう言葉をかけるか」
一方でガンツがやっていたのは、もっと技術的なことのように思います。
エネルギーが落ちているなら、どこかの設計が壊れている。
それを特定して、直す。
人の内面を叱咤するのではなく、構造を点検する。
この距離感が、とても実践的に感じられたのです。
組織の中には、複数の「内部ジャーニー」がある
組織の中には、役職や立場ごとに、異なるジャーニーがあります。
- ジュニアには、学びが得られることを核に、安心して仕事に打ち込めるジャーニーを提供したい
- ミドルには、仕事の実務上の責任を引き受けつつ、自ら裁量して仕事を組み立てるジャーニーを提供し、面白さを実感してもらいたい
- シニアには、世の中にどんな影響を及ぼしているのかという問い、またそのなかで自己実現を成しえていくジャーニーがあり、組織の向かう方向と個人の情熱に交わりがあるという感覚を提供したい
それぞれに、
- 何を期待され
- 何を任され
- どこまで決められ
- どう評価され
- どんな仕事の手触りを持つか
という体験の流れが存在しています。
エネルギーが落ちるとき、意図しないままに、
- 役割の定義が曖昧になり
- 裁量が削られ
- 評価軸がすり替わり
- 仕事の内容が「処理」に縮む
などのような、ジャーニーの変質が起きているように思います。
「やる気がない」の前に、見るべきもの
人が動かなくなったとき、私たちはつい「モチベーション」の話をしてしまいます。
けれど、ガンツの5項目は、別の問いを差し出します。
- 意義:目の前の仕事と目指すビジョンが地続きになっているのか
- 定義:あやふやな範囲が押し付けられていないか
- 裁量:「自分で決める」という基本を保持できているか
- 評価:何の責任をもってもらっているかはっきりしているか、フェアネスを担保できる程度の目の配り方ができているか
- 内容:人を「作業者」にしていないか
これは、万能の正解を与えるリストではありません。むしろ、壊れている場所を早く見つけるためのスキャナーだと思います。
経営とは、壊れ方を早く見つける仕事
振り返ってみると、魅力的な尖り、ゆがみ、過剰さをもっていた組織が「普通の会社」になっていく過程も、同じ構造を持っていました。
誰かが悪意を持ったわけではない。
ただ、
- 意義が現実と地続きでなくなり
(上司からすれば「分かってくれていると思ってた」といいたくもなるでしょう) - 定義が曖昧になり、
(上司からすれば曖昧にせざるを得なかった事情もあるでしょう) - 裁量、自分で決めるという感覚がなくなり、
(上司からすれば必要なナビゲートをしていたつもりだったと言いたくなるかもしれません) - 評価にフェアネスを保てるほどの目配りがなくなり、
(上司からすれば、多くの部下がいる中でもできる限り見ていたつもりだったのでしょう) - 内容が単純作業化する
(上司からすれば、仕事を安定化させたつもりだったと思うかもしれません)
その結果として、エネルギーが小さくなっていった。どの企業にも起こりうる、ごく普通のことです。
こう考えてみれば、経営とは、人を鼓舞することではなく、どこが壊れているかを、できるだけ早く見つけ手当てすることなのかもしれません。
マーシャル・ガンツの知恵は、そのための、ひとつの実践的なヒントとして、いまも十分に読み取る価値があるように思います。


