お品書きに値段のない「おまかせ」の店に足を運ぶと、小さな緊張が走ります。
料理を注文するというより、店主とのやりとりを重ねながら、その場に参加していく。
出される料理は一律ではなく、客ごとに異なります。
その場では、人は自然に「大切にされる客」としての振る舞いを選びます。
店への敬意を示し、雰囲気を壊さず、周囲に配慮する。
声の大きさや注文の仕方、滞在時間にまで、無意識の調整が入る。
こうした振る舞いは、ファーストフード店でのそれとは明らかに異なります。
客の内面が急に変わり、礼儀正しくなったわけではありません。
狙って設計された環境が、そう振る舞わせているのです。
行動を決めるのは、意志ではなく環境
私たちはしばしば、「マナー」や「意識」の問題として行動を説明しがちです。
しかし、同じ人が、場所を変えただけでまったく違う振る舞いをすることは珍しくありません。
値段が書かれていないこと。
「おまかせ」という言葉。
店によっては静かな照明、分厚いワインリスト、何と書かれているかわからない掛け軸があるところもあるでしょう。
それらは情報として説明されることはありませんが、その場にいる人の行動を、確実に方向づけています。
UXの観点から見れば、これは極めて教科書的な構図です。
人はルールを理解してから行動するのではなく、環境に置かれてから行動を選ぶ。
読める人のためのUX
ところが、この「見えない仕組み」は、誰にとっても同じように機能するわけではありません。
実際、値段の書いていない高級店を訪れた海外旅行者が、非常に不満足な体験をした、という事例があります。
後から振り返ると、料理の内容よりも、「どう振る舞えばよいかが最後まで分からなかった」ことが、強いストレスになっていたようです。
これは文化の違い、で片づけることもできます。
ただUXの文脈で見ると、もう少し別の姿が浮かびます。
その店の体験は、暗黙の前提を読み取れる人に向けて、最適化されていた。
・値段が書いていないのは信頼の証、食べる量・飲む量・懐事情踏まえ店主がよきようにやってくれる
・客も店の空気を読むことが前提、店主の間合いを優先
・気持ちよい時間を店主も客も過ごしたいという土台の約束がある
こうした前提を共有している人にとっては、洗練された体験になります。
一方で、それを共有していない人にとっては、説明不足で、不親切で、不安な体験になる。
見えない仕組みが、専門用語化するとき
ここで興味深いのは、この仕組みが「言葉としての専門用語」を使っていないにもかかわらず、実質的には専門用語と同じ役割を果たしている点です。
その場にいるための前提知識。
ふるまいの作法。
期待されている役割。
それらがUIにも、説明にも、明示されていない。
しかし「読める人」には当然のものとして機能する。
UXの現場でも、同じことが起きます。
・この画面を見れば意図は伝わるはず
・この導線は直感的だ
・この言葉は業界では普通だ
そう言われるとき、私たちは知らず知らずのうちに、「読める人」を前提に設計している。
高コンテクストな体験は、悪なのか
おまかせで預けられる店は居心地もよいですし、「値段の書いていない店」という体験が間違っているとは全く思いません。あの緊張感や関係性の設計こそが価値だ、という考えを私は肯定します。
ただ、UXデザインとは、人が自然に振る舞ってしまう「環境」をつくる営みであること、そうした環境にもジャーゴン、「専門的過ぎて読み取れない」というケースがあることをこの小さな店の例は、教えてくれます。


