先日、「AIによる脳の拡張、その次に来るもの」として、知性が身体を持ち始めているのではないか、と書きました。
画面の中で思考を補助する存在から、環境そのものに作用する存在へ。
AIがもつ身体は、人間のボディのようなものに限らず、流通システム、さらには都市といった巨大なものまで想定しうる。
私たちは「AIの巨大な身体の中に住む」ということになっていくのかもしれない、という内容に触れました。
今日は、その巨大な身体に住むというイメージを、もう少し肉付けしてみたいと思います。
DiDiの挑戦
かなり前のことですが、タクシー配車のDiDiのプロダクト開発に関わっていた方から、こんな話を聞きました。
都市をいくつものエリアに分け、それぞれのエリアで
- いまアプリを見ている人の数(eyeballの数、という言い方をされていました)
- 走っている車の数
その差分を把握し、さらにそれぞれの数の“未来”も予測する。
需要と供給のギャップが最小化されるように、あらかじめ車をナビゲートしておく。
そんな発想で体験を滑らかにしているんだ、というお話でした。
自動運転の実用化実験がされている今では、初歩的な仕組みなのかもしれません。
ただそれでも、テクノロジーが都市にある多くの無理・無駄を省く仕組みの例として純粋に感動したことを覚えています。
シンプルであることの強さ
教えてもらった仕組み自体は、驚くほどシンプルです。
需要を見る。
供給を見る。
未来を予測する。
差分を縮める。
ただそれだけです。
しかしその結果、都市の流動が変わります。
待ち時間が減る。
空車が減る。
無駄な移動が減る。
利用者は、ただアプリを開くだけです。
特別な操作をしているわけではありません。
けれど、その背後では都市のバランスが絶えず整えられている。
この動きは、支配というよりも調律に近いように思います。
楽器のわずかなズレを整えるように、都市の中の小さな歪みをならしていく。
需要と供給のあいだに生じる摩擦を、アルゴリズムが吸収していく。
知性が都市という身体をまとい、自らを整え続けている。
そこには、無理・無駄のない美しさがあるように思います。
脳の拡張、その次に
AIはこれまで、脳の拡張として語られてきました。
考えることを助ける。
判断を補助する。
表現を加速する。
しかしDiDiの例は、それとは少し違います。
ここでAIは考えているだけではありません。都市を動かしている。
それは、脳というより巨大な身体をもって活動している、という言い方もできるのではと思います。
画面の中で完結する知性ではなく、空間の中で作用する知性。
利用者はAIを意識しません。けれど、その調律の中で暮らしています。
技術の活用という視点
私は技術屋ではありません。
アルゴリズムを書くわけでも、ロボットを設計するわけでもない。
けれど、こうした仕組みがどう活用され、どのような体験として立ち上がるのかを考えることは、UXの中心的なテーマになっていくはずです。
知性が身体を持つとき、
UXは画面の中にとどまりません。
都市、物流、エネルギー、空間。
それらが調律されるとき、私たちはどのような体験の中に生きることになるのか。
そこに目を向けることは、これからの設計にとって欠かせない視点だと思います。
未来は、音もなく始まる
もしこのような調律が広がり、都市のあちこちで摩擦が減っていくのだとしたら、それは革命的ではあります。知性が都市という身体をまとい、絶えずズレを修正している姿は未来そのもの。
ただ、生活者としては「今日はなんだかスムーズだな」と感じるだけなのでしょうね。
実は、自然に快適さを実現してくれる日々はすでに始まっていて、私たちもその調律の中にいるのかもしれません。


