2000年代半ば頃のことですが、大手銀行のオンラインバンキングのリニューアルを担当したことがありました。
いま振り返ると、インターネットバンキングというもの自体が、まだ十分に「こなれていない」時代だったと思います。
画面はPC前提。
情報量は多く、機能も多い。
セキュリティへの配慮もあり、UIはどうしても重たくなりがちでした。
そんなプロジェクトの中で、佐藤可士和さんとご一緒する機会がありました。
説明するまでもなく、日本を代表するアートディレクターです。
「親指の爪に描いたら、どうなるかな?」
当時の私は、調査をして、自分なりに考え抜いた設計書をまとめ、可士和さんのレビューの場に持っていく、という役回りでした。
いま思えば、かなり「ちゃんとした」つもりの設計資料だったと思います。
それを見た可士和さんが、少し間を置いて、こう言いました。
「いや、平井君ね。この画面ってさ、親指の爪に描いたら、どうなるかな?」
一瞬、何を言われたのか分かりませんでした。
UIを小さくする?アイコン化する?
そういう話ではなさそうだ、とすぐに感じました。
続けて、こんな前置きがありました。
いま幼稚園の設計プロジェクトをやっていること(ふじようちえんのことだったのだと思います)。
その中で、一緒に仕事をしている建築家の先生から聞いた話だということ。
サムネイルで伝わらない構造は、伝わらない
可士和さんが伝えてくれたのは、こういう話でした。
どんな建築でも、どんな空間設計でも、「どんな狙いで、何をつくりたいのか」という意図は、本来とてもシンプルなかたちで描けなければならない。
もしそれが描けないとしたら、設計者自身が、何をつくろうとしているのかを、まだ十分に掴みきれていない可能性がある。
だから。
サムネイル、親指の爪に描いたって分かるくらい、はっきりした意図が欲しい。
ここで言われていた「サムネイル」とは、意図を、極限まで要約できているかという投げかけでした。
レビューポイントとして、驚くほど有効だった
この一言は、その後の設計レビューにおいて、非常に強力な視点になりました。
- この画面の意図は、ひと言で言えるか
- 何をさせたいのか、何を伝えたいのか
- なぜこの情報が、ここにあるのか
それらを、
「親指の爪に描けるか?」
という問いで見直す。
すると、要らない情報が、自然と見えてくる。役割の曖昧な要素が、急に重たく感じられる。
結果として出来上がった画面は、当時としてはかなりスッキリしたものになりました。
※2000年代半ばに作成したプロトタイプです。実際のリリース版画面や現行画面とは異なります

20年経っても、あまり古びて見えない
当時の画面を見返してみると意外な印象を受けます。20年前のUI設計であればどうしても古びるものだとおもいますが、スマートフォン時代のUIとそれなりに近いものに見えます。
もちろん、技術的な制約や表現は時代のものです。
それでも、「構造」や「意図」の部分は、いまでも通用しているように見えます。
耐久性のあるデザインは、意図が削りきられている
これは、
「20年前にスマートフォン時代を先取りしていた」
という話ではないと思っています。
むしろ逆で、煮詰めて意図を明確にした設計は、環境の変化に強いということなのだと思います。
画面サイズが変わっても、デバイスが変わっても、ユーザーの習慣が変わっても。
「何をしたい画面なのか」
「何を一番に伝えたいのか」
それが明確であれば、表層を変えながら、生き延びていくことができる。
親指の爪に描けるか、という基準
あのとき教えてもらった
「親指の爪に描けるか?」
という問いは、UIデザインだけでなく、サービス設計や、組織の設計を考えるときにも、ときどき思い出します。
複雑なものを、複雑なまま説明することがままならないことはしばしあります。
複雑さを引き受けたうえで、煮詰めて、煮詰めて、意図をきれいに残す。
20年近く前のプロジェクトですが、いまでも、とても実践的なナレッジとして残っています。


