新人のマネジャーと向き合うとき、よく共有する本があります。
リンダ・ヒルの Becoming the Boss や、立教大学の中原淳先生による若手マネジャー向けの書籍です。
どれも、マネジャーになるとはどういうことかを、丁寧に言語化した良い本だと思っています。
ただ、これらの本を読んだからといって、すぐに分かるわけではないことも、同時に感じてきました。
マネジャーになる、というのは、知識を足すことでも、スキルを身につけることでもなく、自分が価値を出してきたやり方を、書き換えていく過程だからです。
今日は、その書き換えの途中で、多くの人が経験する「揺れ」について書いてみます。
マネジャーになった瞬間は、たいてい「自分で登る」
多くの場合、マネジャーになった直後は、それまで評価されてきたやり方を、そのまま持ち込みます。
自分が一番前に立ち、自分が一番遠くまで行く。
専門性の高い仕事、職人性の強い仕事であればあるほど、この判断はとても合理的です。
「自分でやった方が早い」
それは、事実でもあります。
次に訪れるのは、「指示する」という極
しばらくすると、今度は反対側に振れます。
自分は手を動かさず、指示のみによって成果を出そうとする。
私の中では、これは登山の比喩で浮かびます。
山を登っている人に向かって、
ふもとの方から
「もう少し右」
「そこを左」
と声をかけている状態です。
マネジメントらしくは見える。
けれど、このやり方では、思うように成果が出ません。
仕事の手ごたえも感じにくくなり、頭に靄がかかったような、実力の数パーセントしか活かせていないような感覚になることも珍しくありません。
揺り戻しとして起きること
成果が出ないと、人はまた元の合理性に戻ります。
やはり自分が行くしかない、と思ってしまう。
自分が一番遠くまで行く。
結果として、他の人は置き去りになる。
すると、個人としての成果は出ても、
人の中には何も残らない。
組織としても、何も積み上がらない。
これは、特定の業界や職種に限った話ではありません。
専門性を軸に価値を出してきた人ほど、起こりやすい現象です。
何度か往復したあとに、辿り着くやり方
この往復を、何度か繰り返します。
自分で登る。
指示する。
また自分で登る。
その先で、ようやく辿り着くやり方があります。
それが、「抱えて登る」というやり方です。
とても疲れて、今にも止まりそうな人を、肩を抱くように、ときには引きずるようにしながら、それでも一緒に登り続ける。
自分のペースでは進めません。
効率も悪い。
正直に言えば、かなり消耗します。
それでも、このやり方でしか、人の中に何かが残らない。
マネージャーとはそんな仕事だったのか、と徐々に経験として理解していきます。
頼る・任せる、とは少し違う
この話は、「部下に頼れ」「権限委譲をしろ」という話ではありません。
品質を出したい、だから全てを頼らなくてもいい。
でも、置いてはいかない。
先に行きすぎない。
同じ斜面に立ち、同じ息切れをしながらも、見えている景色を共有しつつ、足りない部分を押し上げ、最後まで到達すれば部下の成果として一緒に祝う。
マネジャーになる、というのは、この距離感を引き受けることなのだと思います。
理論は、あとから意味を持つ
振り返ると、リンダ・ヒルや中原先生が書いていたことは、おそらく近しいことだったのだろうと感じています。
けれど正直に言えば、先に読んで理解できたとは思えません。
やってみて、失敗して、行ったり来たりして、ようやく言葉が意味を持つ。
マネージャーの仕事というのは、体で覚えないとなんとも理解できない領域のように思います。
マネジャーになる、というのは、一直線に成長する話ではなく、何度も揺れながら、自分の立ち位置を書き換えていく過程だと考えています。
問題なのは、揺れることではありません。
揺れをなかったことにしようとすることです。
専門性を持つ人がマネジャーになるとき、この揺れは、ほとんど避けられません。
それでも、その揺れを引き受けた先にしか、人にも、組織にも、残るものはない。
そんなことを、私は何度も現場で学びました。


