組織の自然な推移
組織の自然な推移について、昔聞いたことのある話があります。
起業したころは、「起業家」が組織の中心にいる。
その後、「仕事人」が光を浴びる時期がくる。
やがて規模が大きくなるにつれて、「調整役」が重要になる。
さらにその先では、かつては前面に出ていなかった「管理者」が中心に立つようになる。
最初のころは、あまり大事にされていない調整役や管理者に徐々にスポットライトがあたるようになる。
逆に起業家や仕事人は少しずつ居心地の悪さを感じるようになっていく。
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当時は、そんなものなのかな、ちょっと図式化されすぎかな、と感じていたのですが、確かに一つの真実を言い当てている感じはします。
長く組織を見ていると、組織の重心や地形が変わっていくことは間違いないように思います。
仕事人のパラダイム
創業期や拡張期には、「仕事人」の倫理が中心に置かれることが少なくありません。
仕事の質を上げること。
イマジネーションを最大限に使うこと。
成果の中身に徹底的にこだわること。
このパラダイムでは、優先順位は明確です。
質が高いかどうか。
手掛けたものに意味があるかどうか。
世界を一歩前に進めているかどうか。
評価や制度は、あくまで補助線のような存在になります。
調整・管理のパラダイム
ところが、組織が成熟していくと、別のパラダイムが前面に出てきます。
調整。
整合性。
再現性。
公平性。
ここで最適化されるのは、個人の突出ではなく、組織全体の持続性です。
判断は横断的になり、評価は均され、裁量は整理されていきます。
仕事人のパラダイムに立っている人がこの変化に触れると、一定の抗体反応が起きることがあります。
「大企業病だ」
「大事なことが後回しにされている」
といった感覚をもつ例をいくつか見てきました。
仕事人からすれば、「優先順位が変わった」と感じます。
質が軽視されているように見える瞬間もあるでしょう。
大切にしていた美学が中心でなくなったように感じることもあります。
合理性の基準は変わる
ただ、ここで起きているのは堕落ではなく、最適化の基準が変わったという見方もできるように思います。
組織の規模や責任範囲が変われば、合理性の基準も変わります。
私が見てきた限りでも、
小さな組織では、質の追求とスピードが正義になります。
大きな組織では、安定と再現性が優先されます。
どちらが優れているという話ではありません。
置かれている条件が変われば、合理的な振る舞いも変わるのです。
仕事人の倫理は未熟なのではありません。
むしろ、特定の地形においては非常に強い原理です。
ただし、その倫理が永遠に中心に置かれるとは限りません。
抗体反応が起きるのは自然なことです。
それは、自分が信じてきた優先順位が揺らいだからです。
しかし、感情のままに「劣化」と断じてしまうと、地形の変化を読む力を失ってしまう、とも感じています。
地形を読むということ
いま自分が立っているのは、どの地形なのでしょうか。
起業家の地形なのか。
仕事人の地形なのか。
それとも、調整や管理が中心にある地形なのか。
この問いを持てるかどうかで、パラダイム移行の捉え方は変わります。
成熟とは、感情をなくすことではありません。
優先順位の変化を、構造として理解できるようになることです。
そのうえで、何を守り、どこにエネルギーを置くのかを選び直す。
抗体反応は、否定するものではありません。
ただそれを、地形の変化を知らせるサインとして受け取ることもできる。
正直なところ、私も、こうした「観」を自在にもてるような境地には全くもって至っていません。昔も今も仕事人のパラダイムに生きている感覚さえあります。
ただ、変化を嘆くよりも、何が起きているのかを理解したうえで、自分はどこに立つのかを決めていくことのほうが大切なのだと思っています。


