ここまで見てきた変化は、個別の機能進化ではありません。
Triggerが生活に編み込まれ、Actionが協働に変わり、Rewardが自己理解へと変わる。
これらは、背後に「学習層」が現れたことで可能になっています。
従来のHabit Loopでは、学習し変化するのは人間だけであり、学びの環境は基本的に固定されていました。Trigger、Action、Rewardは細かく段階を追った設定がされていたとしても、あくまで固定パターンにバリエーションがあるに過ぎなかった。
しかし機械協働環境では、この前提が変わります。
- 人が行動する。
- その履歴が蓄積される。
- パターンが抽出される。
- 設計条件が微調整される。
Habit Loopの三点構造はそのままです。
しかしその背後で、条件が更新され続けている。
次のTriggerが変わる。次のActionの難易度が変わる。次のRewardの提示が変わる。
これは“別のループ”ではありません。
人間の習慣形成の裏側で、環境が適応し続ける構造です。
学習層の特徴は、精度が時間とともに上がることです。
- 利用者が続けるほどデータが増える。
- データが増えるほど予測は正確になる。
- 難易度調整は滑らかになる。
- フィードバックは個別化される。
ここで重要なのは、成長するのは人間だけではない、という点です。
環境もまた、その人に合わせて進化する。
ただし、この構造は「中立」ではない
この「学習層」は、利用者のいかなる日々を願うかという設計時の想像力が、その仕上がりを左右します。
学習層は「依存を強める装置」として設計することもできる。
一方で、「自律を育てる装置」とすることもできてしまう。
違いは、設計者の態度です。
機械協働環境は、習慣の質を大きく変えるパワーをもっています。
だからこそ、一つの問いが浮かびます。
「その習慣は、やめられるだろうか。」
「一度使ったら手放せないものをつくる」。それはクリエイターにとって自然な目標です。夢中になる体験。生活の一部になるプロダクト。それ自体は否定されるものではありません。
問題は、不健全な中毒状態です。
こうした仕組みづくりについて、徐々に「自分で判断する余地を残しているのか」が問われてくると考えています。
いまはまだ中心的な議題ではありませんが、いずれ必ず問われるテーマです。
利用者が意思を持って、ブースターを使うのか外すのかを決められるかを、設計は考慮しなければならない。
学習層を持つ設計は、依存を強めることもできます。
しかし同じ構造で、逆のこともできる。
支援を段階的に減らす。フィードバックを間引く。自己判断の余白を増やす。
支援がなくてもできる状態を目指すという、卒業という視点をもつという発想です。
習慣設計において、ここはまだ模索の領域です。
現時点では、設計者の自戒として
「手放せないほど役立つ。しかし、最終的にはその環境がなくても歩ける状態をつくる」
というスタンスを仮置きできるのではないでしょうか。

