Habit Loopにおいて、Actionは最も誤解されやすい要素です。
Triggerは設計できる。Rewardも設計できる。しかしActionは「本人がやるもの」とされてきました。
どこかに、「行動は努力である」という前提があり、語学も、楽器も、運動も「しんどいけれど、頑張るもの」。設計はその外側で支援するものと捉えられてきたように思います。
しかし機械協働が前提になると、この前提が変わり始めます。
例1:語学学習の変化
従来の英会話のトレーニングは、
「お手本の音声を聞く/ 真似して話す / あとで評価を確認する」
という流れで体験が作られてきました。
評価は“結果”として提示される。間違いは、少し遅れて自覚される。
しかしリアルタイム評価が入るとどうなるか。
発話と同時に、強勢の位置、母音の長さ、子音の明瞭さが視覚的にフィードバックされる。
さらに、「いまの発音はここが惜しいですね。もう一度、ここだけ」と伴走してくれる。
失敗は評価対象ではなく、即時調整の素材になる。
利用者の感覚は、「間違えた」から「修正できた」に変わる。
Actionが“試験”から“対話”へ変わるのです。
例2:音楽練習の変化
楽器練習も同様です。
従来は、弾く、録音する、あとで聞き返す。
上達の実感は曖昧で、「うまくなっているのかわからない」状態が続く。
しかし協働環境では、
- テンポの揺れが可視化される。
- ミスタッチの箇所がハイライトされる。
- 改善が数値で示される。
さらに重要なのは、難易度が動的に変わることです。
あるフレーズでつまずきが続くと、自動的にテンポが落ちる。
ある程度安定すると、自然にテンポが上がる。
ここでは“努力量”ではなく、“成功体験の連続”が設計されている。
利用者は、「今日は30分頑張った」ではなく、「昨日より滑らかに弾けた」と感じる。
これは大きな違いです。
例3:文章生成との協働
生成AIとの執筆も同じ構造です。
白紙に向かう行為は、本来摩擦が大きい。
しかし、叩き台が提示される。構造の選択肢が出る。言い換えが差し出される。
行動は“ゼロから生み出す”から“選び、整える”に変わる。
それでも思考は必要です。しかし心理的負荷は大きく下がる。圧倒的にスピードも上がる。
文章を書く前の発想の部分に時間とエネルギーをかけられる。
そして重要なのは、書けば書くほど環境が学習し、その人に合わせて賢くなることです。
思考とアウトプットの距離が、短くなる。
それは手放せなくなるほどに快適な体験です。
摩擦の意味が変わる
ここで重要なのは、摩擦を消すことではない、という点です。
学びに必要な負荷までもゼロにしてしまうことを狙うわけではない。
機械協働の本質は、適切な負荷を動的に保つことです。難しすぎない。簡単すぎない。
適切な学びを得られる「ちょうどよいゾーン」を維持し続ける。
従来は固定的な設計しかできず、その難度設定は優れたコーチが必要でした。
ですが、いまは、行動ログが即座に次の難易度を設定しチューニングすることもできる。
ここでActionは、努力の積み重ねから成功体験の積み重ねへと質を変える。
旧来の問いは「どうやって行動を起こさせるか」でした。
更新された問いは「どうやって上達を感じ続けられるか」です。
Actionが「協働」に変わるとき、消耗は消え、楽しさが残る
成長には不快さがつきものだと言われてきました。
現実問題として、そうした側面は引き続き存在しますが、それでも成長の楽しさのほうが勝つような、そんな時代になりつつあると感じます。
もちろん新たな懸念はあります。
機械協働時代、あまりに快適な伴走があることで自力でできなくなるのではないか。
しかしそれも設計次第です。
フィードバックを徐々に減らす。自己評価フェーズを設ける。支援なしモードを用意する。
こうした可能性についても考えていけばよい。この点は後の回で扱います。
次は、そのエネルギーの源であるRewardを見ていきます。

