昔読んだ記事で、漫画文化について書かれていたものがありました。
誰の言葉だったのか、正確には覚えていません。赤塚不二夫だったか、手塚治虫だったか、あるいは藤子不二雄だったか。
ただ、その話の内容だけは印象に残っています。
漫画業界というのは、とても懐が深い。
とてつもなく下手な漫画であっても、それもまた漫画として認められる。
そして、そうした作品にも発表する場がある。
その懐の深さがあるからこそ、漫画文化はここまで豊かに育ったのだ。
そんな話でした。
文化の発展を考えるとき、私たちはつい、一人の才能やセンスが次の地平を切り開くようなイメージを思い浮かべます。
確かに、そうした存在は文化に大きな影響を与えます。
しかし、この漫画の話は少し違う可能性を示しています。
文化を育てるのは、才能だけではない。
それを受け止める環境なのではないか。
言い換えるなら、文化は、システムの中で育つ。
漫画の世界には、実に多くの発表の場があります。
新人投稿のコーナーがあり、同人誌の文化があり、小さな雑誌があり、ときには学級新聞の片隅にも漫画が描かれます。
藤本タツキの『ルックバック』には、学級新聞に漫画を描く少女の姿が描かれています。
とても小さな場所ですが、それもまた漫画が生まれる場所です。
そうした小さな発表の場では、
- 未熟な漫画
- 個人的な漫画
- ときにはとても下手な漫画
そうしたものも描かれます。
しかし、そうした場がたくさんあることで、漫画という文化は広がり、豊かなものになっていきました。
漫画文化の豊かさは、誰か一人が切り開いたというよりも、無数の小さな試みが同時に存在していることにあるのかもしれません。
ここで重要なのは、懐の深さです。
多くのシステムは、効率を求めるほど排除の方向に進みます。
評価されるものだけが残り、成功するものだけが拡大し、うまくいかないものは消えていく。
そのほうが合理的に見えるからです。
しかし今の時代、文化が育つのは、少し違うタイプのシステムに見えます。
未熟なものが残り、無駄なものが存在し、ときには下手なものさえ許される。
一見すると非効率にも見える、そんな懐の深いシステムの中で、文化は少しずつ育っていきます。
漫画文化の面白さは、まさにそこにあるのかもしれません。
とても下手な漫画であっても、それも漫画として存在できる。
そうした小さな表現の場が、無数にある。
その裾野の広さが、ときどき思いもよらない作品を生み出す。
システムの懐の深さが何を生み出すのか。
機械協働時代に入り、これまでとは比較にならないほどたくさんのものが生み出されてくる環境で、持っておきたい視点のように思います。


