情報を増やすのが正しいのか
交通事故が多い交差点がありました。
普通なら対策は決まっています。
標識を増やし、信号を増やし、注意看板を設置する。
つまり、危険を知らせるための情報を増やすという方法です。
合理的な対応に思えます。
危険な場所なら、注意を促せばいい。
しかしオランダの交通エンジニア、ハンス・モンダーマンは少し違うことを考えました。
「もしかすると、標識が多すぎるのではないか」
そして彼は大胆なことをします。
その交差点から、信号や標識、ガードレールを減らしてしまったのです。
一見すると危険に思えます。
しかし実際に起きたことは少し意外でした。
ドライバーは、周囲を見るようになったのです。
信号がなければ、他の車を見る。標識がなければ、歩行者を見る。ガードレールがなければ、スピードを落とす。
つまり、人が状況を読むようになります。
結果として、その交差点では事故が減ったと言われています。
何が起きているのか
こうした例は、設計のあり方を揺さぶるショックを与えます。
説明や注意書きを増やすことが正しいとは限らない。
むしろ減らすことで、人の行動が変わることがある。
ここで起きているのは、単なる交通設計の工夫ではありません。
情報を減らすことで、人が自分の回路を使わざるを得ない状態をつくっている。
その結果、行動が変わっている。
説明やルールを増やすほど、判断は外に預けられます。
人は「考えなくてもいい状態」になります。
一方で、情報を減らすと、人は自分で判断せざるを得なくなる。
すると、周囲を見て、状況を読み、少しずつ理解していく。
その場で回路を使わされることで、人の回路は育っていく。
外に預け過ぎていた判断基準が、少しずつ人の中に戻っていく。
モンダーマンの設計は、そうした変化を引き起こしているように見えます。
手放すことで、育つもの
私たちはつい、分かりやすくしようとします。
迷わないようにしようとします。
それは多くの場合、正しいアプローチです。
しかしその一方で、あえて情報を減らし、余白を残すことで、人の中に何かが育つこともある。
逆に言えば、説明しすぎたり、サポートしすぎることで、人の変化を止めてしまうケースもある。
モンダーマンの「標識を置かない」設計は、人の回路への影響を踏まえたデザインの可能性を印象的に示している例だと思います。


