生成AIの進化を前にして、多くの企業が同じ種類の不安を抱き始めているように感じます。
これまで投資してきた学習支援やトレーニングの仕組みは、いずれ生成AIに置き換えられてしまうのではないか。
とくに
「ルーティンを提示する」
「質問に答える」
といった機能は、汎用的な対話UIで十分になっていくようにも見えます。
この不安に対して、「置き換わる」「置き換わらない」という二択で答えようとすると、議論はどうしても深まらない。
ここでは、すこし別の整理の仕方ができないか模索してみたいと思います。
汎用的な支援は、確かにGPTで成立しつつある
まず認めるべき点があります。
生成AIは、次のような支援を非常に高い精度で実現できるようになっています。
- 汎用的な練習メニューの提示
- 初級〜中級レベルのFAQ的な指導
- 定型的なモチベーションメッセージ
- 質問に対する即時のフィードバック
英会話学習を例にすると、この強さは分かりやすいです。
インプット、アウトプット、修正、反復。
この構造は比較的整理されており、ロールプレイ、添削、言い換え提案といった「教師役」の機能は、GPTでかなりの部分が代替可能になっています。
この意味で、汎用的な対話UIは「GPTで十分」になりつつあるという見方は、かなり現実的だと思います。
もし企業の学習サービスが、こうした要素をただ並べたものに留まっているなら、「AIに置き換わるのではないか」という恐れは、妥当なものです。
危険なのは、AIではなく「浅い一般化」
ただし、ここで注意したいのは、置き換えられているのは「学習支援そのもの」ではなく、浅く一般化された支援ではないか、という点です。
多くの習得やトレーニングの現場では、
- 何が分かっていないのかが本人にも分からない
- 無意識の癖が成長を妨げている
- 同じ助言でも、人によって響き方がまったく違う
といったことが、日常的に起きています。
ここでは、正しい答えを返すことよりも、どの言い方なら行動や身体に落ちるかが重要になります。
この部分は、FAQ的な指導や定型メッセージとは、性質が異なります。
音楽や身体技能は「GPTだけでは足りない」
この違いがはっきり表れるのが、音楽や身体技能の習得ではないでしょうか。
例えば楽器演奏では、
- 指の動き
- リズムのズレ
- タイミングやニュアンス
- 本人が気づいていない癖
といった「感覚の誤差」を扱う必要があります。
動画を見て理解することはできても、実際にやってみると越えられない壁が残る。
そしてその理由は、人によってまったく異なります。
この領域では自然と、
- GPTは、言語によるコーチ役
- 人間や専用UIは、身体フィードバック装置
という分業が生まれうるのではと思います。
ここではAIとの対話だけでなんとかなると想定するのは正直乱暴で、習熟に必要なフィードバック機構をいかに適切に作るのか、「習熟のための環境設計」は今の時代にどのように作りうるかという問いとして捉えるべきではと思います。
企業は「価値の中心」をどこに置くのか
ここまで整理すると、企業にとっての問いは、独自の行動支援アプリを作るべきか、GPTで十分かではなくなってきます。
重要なのは、価値の中心がどこにあるか、という点です。
学びの装置作りには、対話の部分だけではなく継続のためのトリガーの埋め込み、アクションの提示と実行支援、評価、さらに活動の可視化といった環境全体をどう作るかという検討が必要になります。
また、ある程度習熟に時間がかかる技術であれば、時間軸をある程度想定した設計、
「どの順番で何を出すか」
「どの難易度なら続くと想定するか」
といった想像力が肝になるでしょう。
企業の行動支援アプリが価値を持つとすれば、そうした環境の整備をひとつひとつ積み上げ、想像力を養い、支援の質をあげる活動を持続的にしているとき、なのだと思います。
生成AIは「答え」ではなく「裏方」になる
こう考えてくれば、生成AIはすべてを代替する存在というより、支援を深めるための裏方としてとらえるほうが私にはしっくりきます。
- 記録を残す
- 変化を可視化する
- 判断を補助する
- 支援する側の思考を支える
ただし、それをどう使うか、どこまでをAIに任せ、どこからを人や組織が引き受けるか。
その線引きこそが、いま企業に突きつけられている設計課題なのだと思います。
問われているのは「深さの選択」
生成AIがすべてを代替するのではないか、という恐れは、決して的外れではありません。
ただし、その恐れが現実になるのは、支援を「薄く、均一に並べて」設計した場合です。
一方で、
- 個別の違いを前提にし
- 習得や変化のプロセスを引き受け
- 継続や評価まで含めて設計する
という深め方を選ぶなら、生成AI時代は、投資が無に帰す時代ではなく、設計思想の差がはっきり表れる時代になります。
問われているのは、AIに置き換わるかどうかではありません。
自分たちは、どの深さまで支援を引き受けるつもりなのか。
その選択が、静かに迫っているように思います。


