長く居続けることの難しさ
企業で長く働き続けることが、以前より難しくなっていると言われます。
転職が一般化したから。
若い世代の価値観が変わったから。
会社が社員を大切にしなくなったから。
さまざまな説明があります。
けれど少し引いてみると、個人の意欲や道徳の問題というよりも、どこかに構造的な不自然さがあるのではないかと思うことがあります。
人が悪いのではない。環境がそう振る舞わせているのではないか。
その不自然さの一端は、私たちが当たり前に受け入れてきたキャリアの描き方にあるのかもしれません。
成長の階段としての読み方
ラム・チャランらの『リーダーシップ・パイプライン』は、しばしば成長の階段として理解されます。
メンバーからマネジャーへ。
部門責任者へ。
そして経営層へ。
上へ進むほど能力が高まる、という読み方です。
この直線モデルは、多くの組織で前提になっています。
能力の向上ではなく、合理性の違い
ただ、この理論は別の角度からも読めるのではないかと思うことがあります。
パイプラインが説明しているのは、能力の単純な向上というよりも、ポジションごとに求められる合理性の違いなのではないか。
自分で成果を最大化する合理性。
他者を通して成果を出す合理性。
全体の整合を優先する合理性。
外部環境に適応する合理性。
役割が変われば、判断基準も時間の使い方も変わる。
それは進化というより、適応環境の移動に近い。
パイプラインは「モード転換」の枠組みかもしれない
もしそう捉えるなら、パイプラインは
能力の階段というよりも、合理性のモード転換を説明する枠組みと読むこともできそうです。
合理性が異なるのであれば、あるモードから別のモードへ移ることは自然です。
場合によっては、戻ることも不思議ではありません。
それでも私たちは、それを一直線で描いてきました。
直線という設計
従業員ジャーニーを一直線で描くことは、統治の観点から見れば合理的です。
予測しやすい。
人材計画を立てやすい。
報酬制度とも整合しやすい。
一方で、それは合理性の違いを上下の関係として表現する設計でもあります。
能力が下がったのではなく、適応先が変わっただけかもしれない。
それでも「降格」という言葉が生まれる。
ここに、直線モデルがもつ不自然さが浮かび上がるように、私は思います。
読み方が、アーキテクチャを決める
パイプラインをどう読むかは、小さな解釈の違いのようでいて、組織のアーキテクチャの前提に触れる問いでもあります。
能力が上がっていく物語として読むのか。
合理性が切り替わっていく物語として読むのか。
どちらが正しいというよりも、後者の読み方もありうるのではないか。
直線の違和感から、考え直してみる
企業で長く働き続けることが難しくなっている、と感じる場面があるなら。
それを意欲や世代論で説明する前に、キャリアを一直線で描く設計そのものに無理がないかを考えてみることはできるかもしれません。
合理性がモードごとに異なるのだとすれば、移動は本来、非直線的でも自然です。
それを「常に上昇すべきもの」として表現するとき、そこに歪みが生まれる可能性はある。
もちろん、直線モデルが機能している組織もあります。
うまく回っているなら、無理に触る必要はないでしょう。
ただ、どこかに違和感があるのなら。
パイプラインを成長論ではなく、合理性移動の理論として読み直してみる。
その視点から従業員ジャーニーを描き直してみる。
そこに、小さなヒントがあるかもしれません。
直線は自然の地形ではなく、設計です。
設計である以上、別の描き方も理論上はあり得る。
私自身は、一直線の成長物語に、どこか不自然さを感じています。
その違和感を手がかりに、もう一度地形を眺め直してみることも、無駄ではないように思うのです。


