コンサルティング会社にいると、 マネージャーの振る舞いについて、多くのことを学びます。
それは研修で教わるというよりも、直接の上司であるマネージャーが、面談でどんな言葉を選び、どこを指摘してきたかを通して、ダイレクトに学ぶものです。
評価の場で何を言うのか。
どこを褒め、どこを課題として置くのか。
その一つひとつが、「マネージャーらしさ」として受け継がれていきます。
そうした振る舞いを長く見てきて、ひとつ、はっきりと感じていることがあります。
特に真面目なマネージャーは総じて、悪い部分を潰すことに、とても多くのエネルギーを使っているということです。
もちろん、それ自体は間違いではありません。
欠点を放置すれば、将来のリスクになりますし、品質を保つという意味でも、補正は必要です。
変化が必要な時に、きちんと不快さと向き合わせることも大切だと私も思います。
ただ同時に、無理に欠点を探していないかと感じる場面も、少なくありません。
「ここは改善したほうがいい」
「来期はここを意識してほしい」
こうした言葉は自然に出てくる一方で、
「言うことがないですね」
「今のやり方で、何の問題も感じていません」
こうした言葉は、なぜかあまり選ばれません。
どこかに、それを言ってしまっていいのか、慢心させないか、成長が止まらないか、そんな怖さがあるように見えます。
そんな疑問をもってから、私自身、この数年、問題がなければ問題がないと伝える、手放しで成長を祝うという選択をしてきました。
教わってきたことと違うことをやるので、少し迷いもありましたが、実際にやってみて分かったのは、そこに懸念していたような毒はほとんど含まれていないということです。
まともな感覚を持っている人であれば、「完璧だ」と言われたからといって、自ら成長曲線を寝かせに行くということはありません。
むしろ、「やっている方向は間違っていない」そう確信するだけです。
そのうえで、自分なりに次の課題を探し始める。
そんな姿を何度も見てきました。
誤解して欲しくないのですが、これは部下を気持ちよくさせる話ではありません。
ヨイショでも、心理的テクニックでもない。
無理やり小さな欠点を見つけ、そこにフォーカスさせる暇などないという話です。
もちろん多少「気になる」ことまで含めれば言えることはあるかもしれませんが、その人が引き受けている仕事の重さや緊張感を前にして、本当に伝えるべきことは細かい粗さがしでは決してない。
完璧主義で、厳しく、自分にも他人にも妥協しない人は、すでに十分すぎるほど、自分を追い込んでいます。
そういう人に対してマネージャーがやるべきことは、欠点を探すことではなく、その厳しさが、ちゃんと価値として機能しているかを確認することなのではないかと思うのです。
もちろん、ギプスをつけるように、強い方向づけが必要な局面は、確かにあるでしょう。
ミッションのレベルが変わるときや、ラム・チャランのいう「リーダーシップパイプライン」上の変化が求められるシーンでは、変身を促すような関わり方が有効です。
この文章は、そうした発想を否定するものではありません。
ここで言いたかったのは、長くマネージャーの仕事をやってきて、人を「均す」という方向でナビゲートしてみても、あまりいい結果にならないという実感がある、ということなのです。
忘れられない話が一つあります。
過度なギプスをはめ続けるような関わり方が、別の問題を生むケースについて、です。
強く形を変えようとする。何度も何度も厳しく癖を矯正する。
その結果、振る舞いは整います。望ましい形に、近づいたようにも見える。
けれど同時に、心のほうが歪んでしまうことがある。
そうした歪みは、すぐには表に出てきません。表面上は従順で、指摘にも応じ、「できる人」になったように見える。
ただ、時間が経つと、恨みのような感情、攻撃性という形で歪みが表に出てしまうことがある。
それは、意外なほど長い期間、しかも新鮮なエネルギーとして残り続けてしまう。
正しさで押された記憶は、簡単には風化しない。
―そんな苦しい例も見てきました。
もちろん、すべての補正が悪いわけではありません。
度合いの問題です。
ただ、「直せるから直す」という判断が重なると、人は、自分の核を守るために、心を固く閉じていきます。 そしてその閉じ方は、後になってからのほうが、ずっと厄介です。
面談で、何を残すかというのは常に難しく、慎重さと覚悟がいると感じます。
言うことがないのであれば、「言うことがない」と言っていい。
それは、マネジメントの放棄ではなく、とても慎重で、覚悟のある判断なのだと私は思っています。


